004 トピック1 戦後女性美術と名渡山愛順(2’03”)

ナレーター:儀間 麗衣世(沖縄県立那覇国際高等学校 放送部)

 

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戦後沖縄女性美術の草分け的な存在に、久場とよ、山元文子があげられます。

沖縄女流美術家協会の発足時から会長をつとめた久場とよは、1934年に沖縄県立第二高等女学校へ入学すると、美術教師であった名渡山愛順の指導の下、油絵の技法を学びました。

在学時の1937年に東京で開催された光風会第24回展に『竜舌蘭のある海辺』で入選し、注目を浴びます。

終戦後、疎開先から戻ると、薬剤師として働く傍ら名渡山に再び師事し、作品を制作し続けました。

画家で教師の渡嘉敷唯選を父に持つ山元文子もまた、名渡山に師事していました。

終戦後、親戚の當山正堅の声掛けにより文教部に勤務し、文教部教科書編集課に勤務していた山元恵一と1946年に結婚します。

このように、戦後、女流美術家達は、他の仕事に従事しながら制作活動に励みました。

恩師の名渡山について、後の対談で久場とよと山元文子は、生徒をかわいがり、厳しいけれど、とても愛情深い教師であったこと、

「美しいものを美しいと思う心」を説き、戦争中にもかかわらず、郷土の文化財など沖縄の良さに気づかされ、それが自然と彼女たちの教養となり、情操豊かな学生時代を送ることができたと語っています。

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