終戦後の沖縄の美術家たちは、沖縄民政府文化部芸術課が置かれた現在のうるま市石川東恩納を拠点に、「沖縄美術家協会」を結成するなど活動をしていました。
しかし、1948年に機構改革により文化部芸術課が解散すると、普天間や越来(ごえく)、首里、那覇などに新たな活動拠点を移していきます。
そうした美術家のうち、名渡山愛順(などやま・あいじゅん)、山元恵一(やまもと・けいいち)、金城安太郎(きんじょう・やすたろう)、大城皓也(おおしろ・こうや)など8名が現在の那覇市首里儀保に移り住みます。
アトリエが建ち並ぶこの地域は通称ニシムイ美術村と呼ばれ、肖像画や風景画などを依頼するアメリカ軍人たちも訪れました。