1950年、那覇市首里儀保のニシムイ美術村で活動する美術家のうち、若手の安谷屋正義(あだにや・まさよし)、玉那覇正吉(たまなは・せいきち)、安次嶺金正(あしみね・かねまさ)、具志堅以徳(ぐしけん・いとく)、金城安太郎(きんじょう・やすたろう)の5名がグループ展「五人展(ごにんてん)」を発足します。
その活動は5年ほどでしたが、これ以降様々な美術グループが結成され、それぞれのグループがその時代の問題意識や、目指すべき芸術に対する考え方などを語り合い、活動を行なっていきます。
例えば、新たな絵画の創造を目指した「創斗会(そうとかい)」、抽象的な表現が流行する中で具象絵画を追求した「美緑会(びろくかい)」、実験的な絵画を発表し続けた「グループ耕(こう)」、野外での展覧会を開催した「現代美術研究会」などが挙げられます。