4.驚愕の護佐丸人気
『護佐丸のグスク』と題し,当館講堂において3名の講師をお招きしての文化講座が令和8年6月20日に開催されました(写真1)。読谷村教育委員会の太田美緒さんから座喜味グスクについて、中城村教育委員会の太田樹也さんからは中城グスクについて、与論町教育委員会の南勇輔さんから与論グスクにおける発掘調査成果から見た、護佐丸に関連したグスクについてのお話を賜りました。
写真1 会場出入口の様子
お一人40分という短い時間の中で何れも中身の濃いご報告をしていただき、とても有意義な内容になりました(写真2)。また、今回は会場が開始前から満杯になり、特別にリモート会場を別途、設けましたが、そこにも多くの方で埋まりました。総計184名もの方々がこの講座を聴きに会場まで足を運んだということで、今回の講座に対する関心の高さを実感するに至りました。
写真2 会場内に投影された当日のタイトル
5.どのような話がなされたのか
本講座のトップバッターである太田美緒さんからは「昭和48年度から行われた座喜味城跡の環境整備と発掘調査について」というタイトルでお話を賜りました。主な内容としてはすでに完了している座喜味グスクの発掘調査を当時の貴重な調査写真を使って、検出された遺構についてのお話でした。過去の発掘調査では石敷きや建物跡、柱穴といった遺構が検出されていることと、性格不明な円形の石列遺構が建物跡近くから確認されているといったことなどが報告されました。また、座喜味グスクの石積みについてはアーチ門に見られる楔石用途とその技術的なお話もしていただき、護佐丸によって連れてこられたとされる与論島の人々が持っていた石積みの技術の一端を知ることができる内容となっていました。
次に太田樹也さんからは「中城城跡の調査成果について」というタイトルで中城グスクにおける最新の発掘調査成果についてのご報告がありました。グスクの一の郭北側の城壁が幾度も改修を行っていること、そして15世紀前半には現在見られる高さの石積みへと改修されたというご報告でした。このことは護佐丸が中城グスクの防御を更に高めたことを匂わせるような調査成果であったと共に、高く石積みを積み上げるための高度な石積み技法が一の郭北側の城壁に見られることについて調査写真を通して詳しく解説していただきました。
最後に南勇輔さんからは「護佐丸が連れて行った島のグスク」として与論グスクの発掘調査の成果とあわせて、与論島と護佐丸との関連のお話も賜りました(写真3)。
写真3 南さんによる報告の様子
与論グスクにおいては15世紀前半に最盛期を迎えたこと、その後はあまり遺物も見られないことから、三山統一後は急激にその機能を終えていくといった興味深い成果を聞かせていただきました。更に沖縄本島各地に「与論」に因む地名が沖縄本島東海岸によく見られると指摘がありました。このことから与論島から南下した人々は沖縄本島の主に東側ルートを通ったのではないかという推測をされていました。
※過去に本コラムにて与論グスクについて取り扱っておりますので、ご興味のある方は下記URLからアクセスして下さい。
2025.01.14 『与論島で行った2つの与論グスク関連イベント』
http://okimu.jp/museum/column/1736812288/
6.この講座で意図したこと
護佐丸については死後200年以上が経ってから彼の人物像が記されていくことから、本当の護佐丸の姿については明らかではないと言えます。そのため、当時の遺跡からどこまで護佐丸の実像をあぶり出すことができるのか、それを「城を築く」という視点から読み解いていくことが今回の講座の主旨でした。そこで護佐丸が築城したとされる座喜味グスク、そして終焉の地とされる中城グスク、築城のために連れて行った人々が住でいた島にある与論グスクの3カ所を上記の通り講座では取り上げた次第になります。
報告が終了した後に30分間の質疑応答の時間を設けたのですが、参加者から多くの質問が寄せられました。それら質疑についても今回の報告を更に掘り下げていく内容であったことから、大変充実した形で今回の講座を締めることができました(写真4)。
写真4 質疑応答の様子
ただし、これら質問内容については少し思うところがありましたので次回、そのことについて本コラムで詳しく触れていきたいと思います。
(次回へ続く)
主任学芸員 山本正昭