1. 学芸員のお仕事 -資料に語らせる-

学芸員のお仕事 -資料に語らせる-

最終更新日:2018.07.12

 「資料に語らせる」とはどういうことでしょうか。
博物館の仕事は収蔵資料を研究し普及することですが、これが一筋縄ではいきません。資料が自ら饒舌に語るわけではないからです。 
 資料を調べる方法は二つあります。当館が収蔵する「木綿浅地霞に枝垂桜模様衣裳」を例に、どのような調査を行い、情報を収集するのか、その結果どのような事が分かるのか紹介します。
                     
 
資料そのものから分かること
 まずは、資料そのもの調べます。寸法、素材、作り方、織り方など。そして、模様の構成・大きさなどです。これは、目視である程度わかります。さらに詳しく知るための秘密兵器の一つがカメラです。拡大撮影・赤外線撮影によって、素材はもちろん、模様の付け方の詳細がみえるようになりました。ここ10年で、科学的な分析が飛躍的に発展しました。蛍光X線による非破壊分析で顔料などの色材を特定できるようになりました。この作品の地色はドイツで開発されて合成顔料、プルシャンブルーで染められていました。目視では水色に見えますが、糸の重ね目に僅かに残るブルーの色材からかなり鮮やかな青い地色であった事がわかります。

   
 
 *右は地色の拡大写真 青い顔料は糸の重ね目に僅かに残る
 縫い方なども大きな手がかりです。紅型による琉服の単衣は両面染が殆どですが、この作品は片面染です。また、衿付けなどをみるとまるで、仮縫いのように見えます。衿も広衿を表に返すものですが、これは裏返しで身頃・袵に縫いつけられ、どうも、裏の付いていた袷を解いて、単衣にした様子がうかがえます。


 

*衣裳の裏(片面染、縫い方などが分かる)
 この作品のことは、旧蔵者の情報もなく、作品そのものからは、素材や染色方法、模様の構成や袷衣裳だったことなどしか分かりません。
 
補足する情報を収集する
 情報を集める方法も様々です。類似する作例、関連する文献はもちろん、旧蔵者からのヒヤリングなどは大きな情報をもたらします。実は当館と沖縄県立芸術大学にこの模様と同模様の型紙があります。このような型紙が使われたことは、想像に難くありません。
この作品を補足する情報は、はるか遠くドイツにありました。
 1882年、ドイツ帝国公使館から依頼された日本の農商務省は、琉球王国の民族文化に関する製品を収集し1884年にドイツに送ります。この収集事業の素晴らしい点は、体系的に収集したことです。染織品は身分や性別で収集されており、日本語の購入目録が残っていました。この収集品のなかに、木綿浅地霞に枝垂桜模様衣裳と同模様の紅型がありました。目録に「木綿形付袷小袖」とある衣裳は、当館の作品と同模様が染められていますが、地色は桃色で袷という違いがありました。そして、王子按司階級の女性用であり、値段は当時、五円であったことも分かりました。
 
 これらの情報をまとめてみると、木綿浅地霞に枝垂桜模様衣裳は、1884年以前に染められ、裏の付いた琉服の袷に仕立てられ、高位の女性が身につけていたことが、物語のように浮かんできます。色はだいぶ退色しているので、製作時は、きっともっと青く、桜花が鮮やかな衣裳であったことでしょう。
 このように、丹念に調査を重ね、資料に語らせることは、学芸員の重要な仕事であり、博物館の役割です。
 

主幹:與那嶺 一子

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