博物館班では、毎週班会議の後で学芸員ゼミを行っています。4月26日は大湾が発表当番に当たり、来る5月23日に開幕する企画展「博物館70年のあゆみ」を前に、全員で博物館の歴史を振り返ろうと、70年前から50年前までの草創期の博物館についてお話ししました。
戦前、首里城北殿にあった「沖縄郷土博物館」は、沖縄戦で全焼し、貴重な文化財が失われました。戦後、焼け野原になった廃墟から文化財の残欠等を収集する活動が、石川の東恩納と首里の両方で始まりました。東恩納には、米海軍軍政府のハンナ少佐らにより集められた資料が、民家を利用した「沖縄陳列館」に米軍人の教育目的で展示されました。1946年4月、沖縄民政府の設立によって同館は移管され、「沖縄民政府立東恩納博物館」が誕生し、現在の沖縄県立博物館・美術館の始まりとされています。
一方、首里では豊平良顕氏らの進言により首里市文化部ができ、残欠文化財の収集活動が開始されます。わずか4、5人でスタートした文化部の職員は、円覚寺をはじめ、首里城正殿、尚家、識名園、末吉町の社檀、お茶屋御殿等の旧跡・史跡をあまなく捜索したそうです。こうして集められた資料は、初め汀良町の民家で「首里市立郷土博物館」と称して展示されました。現在、当館に収蔵されている資料には、当時廃墟の中から苦労して集められた文化財の数々が含まれています。
1953年、2つの館が合併し、首里当蔵町に「沖縄民政府立首里博物館」が誕生。ペルリ100年祭を記念して「おもろさうし」や「聞声大君御殿雲龍黄金簪」等、貴重な文化財が米国から返還されたのもこの頃です。
その後、1955年に「琉球政府立博物館」に改称し、1966年には首里大中町の尚家跡地に建設された新館に移転しました。復帰と共に「沖縄県立博物館」となり、長い間親しまれてきた大中町の博物館も、老朽化と収蔵スペースの狭隘さを解消するため取り壊され、2007年に那覇市おもろまちに新館を建設して新たに誕生したのです。
5月23日からの企画展「博物館70年のあゆみ」では、このような博物館の歴史を、当館の収蔵資料とたくさんのエピソード等を織り交ぜて紹介します。中でも、終戦直後に焦土と化した首里城や円覚寺から拾い集められた文化財の残欠や、米国から返還された文化財(「おもろさうし」「中山世譜」「中山世鑑」「混効験集」「聞声大君御殿雲龍黄金簪」の実物)、首里城正殿模型、港川人の化石人骨の実物、ノロ神扇と神衣裳等々、今回特別に展示しています。新館に移転後初めて展示する資料もありますので、多くの皆様にご来場いただき、70年間に博物館が収集した資料とその活動を見ていただきたいと思います。
併せて、平成28年度に受け入れた資料を披露する「新収蔵品展-平成28年度収集資料-」も開催いたします。貴重な資料をご寄贈いただいておりますので、ぜひご覧ください。
主任学芸員 大湾ゆかり