博物館の沿革

石川東恩納時代

1945~1953年 / 沖縄陳列館~東恩納博物館

東恩納博物館

ハンナ少佐夫妻(1990年来館時)

1945年、海軍軍政府ウイラード・A・ハンナ少佐(1911~1993年)とジェームス・T・ワトキンス少佐(生没年不詳)は、米軍人と米国の政治家に沖縄の歴史文化を紹介するため、「沖縄陳列館」と称し、石川(現うるま市)の東恩納の民家に仏像や陶器・漆器などを陳列し、公開しました。
特にハンナ少佐はフィリピンにあった円覚寺楼鐘を返還させ、さらに沖縄の歴史教科書の作成を指示し、劇団結成、画家たちへ物心両面の援助を行うなど、戦後沖縄の教育・文化の再興に尽力されました。戦後、1955年と1990年の2度ほど来沖しています。

赤瓦葺の陳列館は、住宅をそのまま利用したものでした。しかしながら庭を整理し、梵鐘を掛け、沖縄の博物館らしい施設となっていました。その後、陳列館は沖縄民政府に移管され、「東恩納博物館」と改称、初代館長に大嶺薫氏が赴任しました。

首里汀良町時代

1946~1953年 / 首里郷土博物館~首里博物館

沖縄民政府立首里博物館正面玄関での記念撮影

1945年10月ころから首里や那覇に住民の移動が可能になり、人々は収容所からそれぞれの町や村に帰っていきました。昭和21年3月、豊平良顕と5人の職員による首里市文化部が発足、汀良町の首里教会裏にあったトタン葺きの空き家を借りて、文化財を収集し、「首里郷土博物館」と名付け一般に公開しました。その後、運営を首里市が引き継ぎ、名称を「首里市立郷土博物館」としましたが、負担が大きく、11月には沖縄民政府に移管されて、「首里博物館」となり、原田貞吉が館長に赴任しました。
当時の首里博物館は本館・26坪、事務所5坪のトタン葺でしたが、事務所などは壁がなく、金網やテント地で囲った程度だったようです。戸締まりのための鍵などもなく、開けるたびに釘を打ち付けていました。しかし、台風による資料等の損傷や防犯上の理由から、龍潭池畔に新たに新館を建設し移転することになり、同時に石川の東恩納博物館も合併されました。

首里当蔵町時代

首里博物館~琉球政府立博物館

琉球政府立博物館の前で(浜田庄司と壷屋の陶工の記念撮影)

ペルリ記念館正面

新館は1952年2月に着工されました(設計・仲座久雄、施工・田光組)。コの字型の建物は、壁を煉瓦とし、赤瓦葺でしたが、当時資材の入手は困難で、設計者の仲座氏とともに博物館職員は煉瓦など資材の調達に奔走することになります。資材調達の遅れや資金不足などから建設は大幅におくれていきました。しかし、ペルリ記念館の併設を理由に、米国民政府が博物館建設を援助したため、1953年の5月に竣工することができました。5月26日ペルリ記念館・首里博物館落成式が行われ、このとき「おもろさうし」等が返還されました。

新しい博物館に移転しても、資料収集は継続されていきました。1954年8月には、ハワイから三線「江戸与那」が返還されました。これは元首里城内郷土博物館にあったもので、東恩納寛惇氏のすすめで返還されたものです。

1955年5月5日原田館長が病気で死去、その後任として山里永吉館長が赴任しました。そして同年「琉球政府立博物館」と改称されました。1964年4月全国民芸協会大会が沖縄で催されるにあたって、全館を開放して特別民芸展を開催、本土から会員400人が来館しました。

首里大中町時代

1965~2007年 / 琉球政府立博物館~沖縄県立博物館

琉球政府立博物館(謝花雲石の碑銘)

沖縄県立博物館

1962年4月、米国民政府の指示により館建設計画書が作成されました。翌年10月文教局より小委員会が委任され、設計コンテストの中から審査の結果、我那覇設計事務所の首里城をモデルとした案が採用されました。しかし、米国民政府から派遣された専門家から、ローカル色が強すぎることを指摘され、近代的なものに変更するようにとの意見が出されたため、設計をやり直すことになりました。
建設工事は1965年5月、国場組が35万6千ドルで落札しました。内訳は米国民政府が31万7千ドル、琉球政府が3万9千ドルを負担するというものでした。
6月12日に起工し、翌年10月6日落成、11月3日の文化の日に開館しました。開館記念展として、沖縄の現代作家による「新館開館記念現代美術展」を開催(11月3日~12月2日)、同時に尚裕氏の厚意により尚家所蔵の文化財8点が特陳されました。

1972年、日本復帰とともに館の名称を「沖縄県立博物館」に改称、翌73年に国庫補助により2階を増築し、民俗室と陶器展示室(後に収蔵庫)、美術工芸室が開設されました。その後、前庭には沖永良部島から移築した高倉、そして円覚寺鐘楼が配置されました。以後、2006年まで、40年間にわたって特別展、企画展、調査研究等の博物館活動が積み重ねられてきました。

現在

2007年~ / おもろまち

40年間様々な活動をおこなった博物館も、資料の数が8万件を超えると、収蔵庫が飽和状態となり、展示室、講堂の2階客席を収蔵庫に改造することになりました。しかしそれでも手狭になったため、敷地内にプレハブを建てて収蔵庫としましたが資料は増え続け、各収蔵庫は年ごとに飽和状態になっていきました。また、特別展を開催するたびに歴史展示室の資料を収蔵庫に収める状態が続きました。

新館の構想は、1985年ころから館内で話し合いが続けられていました。ある時は講堂を展示室や収蔵庫に改造する案もでていましたが、狭隘化する博物館の状況を改善するには程遠いものでした。実際、講堂の1階客席1/3ほどは収蔵スペースとして利用されており、講座等は残り2/3のスペースで行われていました。

新館の基本構想は1991年に作成され、1993年に展示検討委員会、建設検討委委員会が設置され、建築設計プロポーザルが行われた結果、グスクをイメージした外観が採用されました。しかし、1997年ころより県の予算が思わしくなく、建設は一時保留となりました。
2003年、復帰30周年記念事業として博物館新館建設が再度スタートしました。展示監修委員会と部門会議が開催され、展示内容が形作られていきました。
2004年にはおもろまちにて起工式が行われ、2007年11月1日に開館いたしました。

年表

西暦 和暦 事項
1936年 昭和14年 7月 沖縄県教育会附設として「沖縄郷土博物館」が首里城内北殿を使用して開館される。
1945年 昭和20年 3~5月 沖縄戦で「沖縄郷土博物館」全焼。
1945年 昭和20年 8月 米国海軍軍政府により残欠文化財が収集され、石川市字東恩納に「沖縄陳列館」が設立される。
1946年 昭和21年 ・3月 首里で首里城周辺の廃墟から残欠文化財の収集活動が行われ、「首里市立郷土博物館」が設立される。
・4月 沖縄陳列館は沖縄民政府に移管され「東恩納博物館」と改称。館長に大嶺薫就任。
1947年 昭和22年 12月 首里市の沖縄郷土博物館は沖縄民政府に移管され「沖縄民政府立首里博物館」と改称。
1953年 昭和28年 ・3月 東恩納博物館を首里博物館へ合併。
・5月 首里博物館は首里当蔵町の龍潭池畔に瓦葺の本館とペルリ記念館落成。
1955年 昭和30年 ・9月 「沖縄民政府立首里博物館」を「琉球政府立博物館」と改称。
1965年 昭和40年 首里大中町尚家跡土地購入。
1966年 昭和41年 ・10月 米国援助により、首里大中町の尚家跡に鉄筋コンクリート建の新館が落成(10月6日)。
・11月3日 開館。
・12月 中央教育委員会規則第58号「琉球政府博物館管理規則」「琉球政府立博物館施設使用規則」、同59号で「琉球政府立博物館の職員の勤務時間及び勤務時間の割振りに関する規則」制定。
1967年 昭和42年 12月 「琉球政府立博物館運営協議委員会規則」制定。
1969年 昭和44年 3月 「琉球政府立博物館館報」創刊。
1972年 昭和47年 ・5月15日 日本復帰にともない、館名「沖縄県立博物館」と改称。
・10月 「沖縄県立博物館運営協議会規則」制定。
1973年 昭和48年 2月 2階を増築。展示室が3室増える。
1974年 昭和49年 5月 第1回文化講座実施。
1975年 昭和50年 3月 沖縄県立博物館紀要第1号創刊。
1976年 昭和51年 4月 創立30周年記念事業挙行。
1979年 昭和54年 8月 空調・防災総替え工事2か年計画で着工、初年度は展示室のみ。
1981年 昭和56年 3月30日 博物館法に基づき登録される。
1982年 昭和57年 5月7日 自然展示室を新たに設ける。
1984年 昭和59年 このころより新館の検討開始。
1990年 平成2年 7月 沖縄県立博物館新館建設検討委員会(会長池原貞雄以下10名)設置。
1991年 平成3年 ・3月 建設検討委員会「沖縄県立博物館基本構想」を策定。
・7月 沖縄県立博物館新館建設委員会(会長鈴木雅夫以下12名)設置。
1993年 平成5年 12月 建設委員会「沖縄県立博物館新館建設基本計画」を報告。
1994年 平成6年 ・7月 沖縄県立博物館新館展示委員会(委員長鈴木雅夫以下12名)設置。
・10月 「沖縄県立博物館新館建設基本計画」を県として策定。
・11月沖縄県立博物館新館展示基本計画に係る業務委託(プロポーザル)で業者決定。
1995年 平成7年 ・5月 「沖縄県立博物館新館展示基本計画」を県として策定。
・12月 沖縄県立美術館・博物館新館公開設計競技審査委員会(委員長近江栄以下13名)を設置。新館設計競技実施。
1996年 平成8年 10月 沖縄県立博物館新館展示監修委員会(会長上江洲均以下13名)を設置。
1997年 平成9年 ・建築及び常設展示の基本設計策定。
・財政難により事業の一時凍結。
2002年 平成14年 復帰30周年記念事業として、美術館との複合施設として新館建設決定。
2003年 平成15年 建築工事と展示工事を担当する文化施設建設室を本庁臨時組織として設置。建築及び展示工事の実施設計を策定。
2004年 平成16年 10月 那覇市おもろまちにて起工式、建築工事、展示工事開始。
2005年 平成17年 3月22日~3月31日まで首里の「沖縄県立博物館」おける閉館記念催事「ありがとう・さようなら」キャンペーンを実施。3月31日展示活動等を休止。引越作業を本格的に開始。
2006年 平成18年 ・11月 新博物館・美術館施設竣工。
・12月27日 「沖縄県立博物館・美術館の設置及び管理に関する条例」制定により、指定管理者制度導入の法整備を図る。新館名称を「沖縄県立博物館・美術館」とする。なお、「沖縄県立博物館」に関する教育機関設置条例は10月31日付けで廃止。
2007年 平成19年 ・3月29日 事務所を首里からおもろまちへ移転。
・3月30日 首里の「沖縄県立博物館」解散式を開催。
・6月上旬から収蔵品移転開始(~8月まで)。
・8月末日 常設展示の展示工事竣工
・11月1日 開館式及び一般公開開始。
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