1. 復帰50年コレクション展 FUKKI QUALIA (フッキ クオリア)―「復帰」と沖縄美術

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復帰50年コレクション展 FUKKI QUALIA (フッキ クオリア)―「復帰」と沖縄美術

2022年07月20日(水) ~ 2023年01月15日(日)

復帰50年コレクション展 FUKKI QUALIA (フッキ クオリア)―「復帰」と沖縄美術

FUKKI QUALIA(フッキ クオリア) ― 「復帰」の感覚

「祖国復帰」「本土復帰」「日本復帰」「沖縄返還」・・・1972年の日本への沖縄施政権返還は様々に表記されますが、沖縄の多くの人は「復帰」と呼びます。どこへ帰るのかあいまいに響く「フッキ」には、沖縄が歩んだ歴史への複雑な心情がにじむようです。
 ラテン語であるQUALIA(クオリア)とは、赤いリンゴを見て「赤いと感じる」などの、主観的な経験に基づく感覚だといわれます。「復帰」から50年が経つ現在、沖縄に住む人々の6割は「復帰」を直接には経験していません。本展では、「アメリカ統治下」、「復帰」、さらに「復帰後」の社会を見つめた作品や作家たちの動きを紹介します。復帰を経験した人も経験していない人も、作品からフッキクオリアを感じることがあるかもしれません。

※会期中展示替えがあります。前期は復帰前、後期は復帰後の作品を紹介します。
【前期】7月20日(水)~10月16日(日)
【後期】10月22日(土)~2023年1月15日(日)
(休室期間:10月18日(火)~10月21日(金))


展覧会チラシ


展覧会目録(後期)


展覧会目録(前期)


新垣 安雄 アーティストトーク


前期展示 展示風景


後期展示 展示風景

■ FUKKI QUALIAー「復帰」と私

担当学芸員 大城さゆり

―1972年5月15日、どこで何をしていましたか?

FUKKI QUALIA担当 大城さゆり学芸員

まだ生まれていないです。1988年生まれなので、影も形もない状態ですね(笑)。父が中学生、母が小学6年生なので、復帰のころ、基本的に父母が話しているのを耳学問で知ったという感じです。
テレビを見ながらとか、ぽつりぽつりと日常会話で復帰のころの話を聞くことが多いのですが、子どもだから関心がなかったのか、父はあまり覚えていないと。ただ、父方の祖父が復帰の頃にとても怒っていたのはよく覚えていると。
というのは、家を木造からコンクリート造に建て替える計画をしていて、ドルレートが固定から変動制になったことで、円になると貯蓄や資産が目減りして、建て替えられなくなる危機だったのです。

祖父は、1960年代前半には公民館とか幼稚園を木造で作っていたのですが、復帰の頃は建物の施工がコンクリートに変わっていったようです。コンクリートの型枠を正確に作ったりして、自分の作ったコンクリートの家は50年も100年も持つぞというプライドがあったと聞きます。
木造からコンクリート造へという時代の変化に合わせて、技術を身に付けたようです。
母は伊江島出身なので、父と違う復帰を見ていました。父の故郷の南風原に基地はないですが、伊江島にはあって。

大城さゆり学芸員

日常会話で母と好きなケーキの話をしていたのですが、そういえばケーキは高価だったから、子どもの頃は食べる機会がなかったんじゃないのと質問したら、いや、基地で余ったクリスマスケーキをもらって、そこで初めて食べたと。
小学生の頃、クリスマスの朝に近所の子どもたちが「クリスマスマラソン大会」と称して基地まで競争し、基地内のパーティで余ったケーキやピザをもらったそうで、秘密だったのか、持ち帰りは出来ずその場で食べるように言われたみたいです。ケーキの話をして基地につながるのは予想外でした。

母方の祖父が復帰の前年の11月に亡くなっているので、母は大変な苦労をしています。ドルから円に替わったときに銀行に行ったの?と聞いたら、医療費で使ってしまって、そもそも現金が手元になかったんじゃないかな、と話していました。祖母がつくった野菜を売って、初めて円を手にしたと記憶しているそうで、なんだ、じゃあ、「ドルから円」ではなくて、「野菜から円」だったのね、なんて話したこともあります。
両親とも復帰の日のことはあまり覚えていなくても、ドルから円に替わることはよく覚えていて、子どもの心に大人たちが困っている姿や、生活に直結していることは印象深かったのでしょうね。

―「復帰」という言葉を初めて聞いて、考えたことは何ですか?

大城さゆり学芸員

「本土復帰」という言葉で一番初めに聞いたんじゃないかと思います。
でもいつ聞いたかは覚えていないですね。「復帰」という言葉よりは、「アメリカ世」という言葉のほうがよく聞いたかもしれません。祖父母の家に行ったときに出されるお菓子は、黒糖とkissチョコと金ぴかの箱に入ったレーズン。
それが普通だと思っていたけど、テレビとか見るとそういうのは普通じゃないと徐々に気づいていく。沖縄って昔はアメリカだったの?という疑問を抱くようになって「アメリカ世」の言葉を知っていく。テレビで見るのとうちは何か違うぞと。テレビは全国放送で、東京や大阪の番組が流れる。
その辺で違和感に気づいていきました。

「復帰」をどのように展覧会名に入れるかは、博物館と同じように、美術館でも苦労しました。復帰に「周年」「記念」という言葉を付けるか付けないか、お祝いかどうかという話が出てきますけど、やっぱり現象的な部分を見るのであればもっと客観的にしないといけない。
「周年」はつけず、「復帰50年コレクション展」になりました。
当時の言い方では「祖国復帰」になります。今はそういう言い方はあまり聞きません。「祖国復帰」から「本土復帰」に言葉が変化していったというのはすごく大事な現象だと思っています。人々の心境や気持ちは当時と今では大分違うでしょうし、「復帰」の前にどんな言葉を持ってくるかは、復帰そのものに対してどのような評価を与えるのかと、立ち位置を問われるような緊張感があります。

いろんな人と会話をしていると、シンプルに「復帰」と言っていることも多く、復帰の前に何も置かないというその気持ちの持ちようも非常に大事だと思います。確かにその方が楽になるんですよね。
復帰にまつわる単語一つで、なんだか踏み絵のように試されている気持ちがしてしまう。評価が定まらない「復帰」に対してずっと問い続けられるというのは確かに大変だし、なおかつその答えが50年経っても定まらないというのが、復帰50年目の立ち位置かなということで、シンプルに「復帰」という語を使おうと思いました。

―未来の沖縄はどうなると思いましたか。

大城さゆり学芸員

私の幼少期はすごい沖縄ブームだったんですよ。沖縄に対するイメージはとてもポジティブで、ポンキッキーズ(朝の子ども向けテレビ番組)でも「ユイユイ」というオキナワンソングが流れていました。小学校に上がると、SPEED、MAX、高学年になるとDA PUMP、kiroro、MONGOL800、中学校に上がるとHYみたいな。
特にポップカルチャー、エンタメのなかで「沖縄はすごいぞ!」と盛り上がったんですね。一方でディアマンテスの歌もよく耳にして、世界とつながっているっていうのが意識されているような状況でした。小学校6年生のときには沖縄サミットもあって、安室奈美恵さんが「ネバーエンド」を歌っていました。沖縄がすごく素晴らしいものと見られていると感じていました。

中学校1年生のときにドラマ「ちゅらさん」が始まって、その放送期間中だったと思うのですが、9.11同時多発テロが起るんですね。そこから急に、私が見ている沖縄の感じが変わったんですよ。
本土からの修学旅行が一斉にキャンセルになって、沖縄の基地がテロの標的になるから危ないっていう風潮になって。
急にコロッと手のひらを返された状況に大変な衝撃を受けました。

高校生のときには、沖縄国際大学に米軍のヘリが墜落して、その日のニュースをチェックしようとしたら、トップニュースはアテネ・オリンピックで、全国放送だと満足に情報が得られませんでした。
その頃から復帰というのを意識していく。90年代まではすごいポジティブだったのですが、2000年代くらいから問題が急にどんどん表に出てきた。まあ、見えるようになっただけなのですけど。
沖縄ブームの頃は、沖縄の未来は明るいものだと思っていたんですよね。なので、結構、私の中の沖縄イメージには明暗があります。それが今まで繋がって、結局「復帰」に「記念」「周年」を付けるかという葛藤はそのあたりから続いてきているのかな、と思います。

大城さゆり学芸員

とはいえ、私の父方の南風原の地域では、途絶えていた綱引きを、青年会が復活させたりして、いろいろ失ったものを復活させるという動きも最近の出来事として見られます。それこそフッキクオリアの後半のほうで触れるのですが、美術においては琉球絵画という捉え方が出てきたりだとか。時代の変化に伴って継続が困難になることや、失われるものは出てくるんですけど、結局それをつないだり、掘り起こしたり、復活させたりするのも人なんです。今回の「フッキクオリア」では終戦から現代まで広く沖縄の美術を取り扱いましたが、戦争が起こって、生活が変わって文化が途絶えたりしたとしても、人間が生きている限りはそれをつなげたり、復活させたり、再興させたり、あるいは別の新しいものを作り上げたりすることができると思うのです。

これまで沖縄に生きる人たちはすごく働いて頑張って文化をつないでききたし、人が生きていく限りは文化もまた続いていく。前を向いて生きている人がいる限り、未来は非常に明るいかなと。ただ、一方で、学校でも沖縄のことを学ぶ機会は少なく、沖縄にいながら沖縄のことを知らないという人も多いので、どれだけ沖縄の文化に対して、一人一人が自分のこととして見ていくかということが未来につながっていくかと思っています。たくさんのもの失われてきたという経験があってのことではありますが、やっぱり立ち上がってきたという先人たちの強さみたいのは、未来を考えるうえでの一つの誇りになるんじゃないかと思います。

―大城さんが「希う」未来とは?

大城さゆり学芸員

平和が一番ですよね。
博物館・美術館は文化を守るところですが、それをつむいでいけるのは、人々が安全に幸せに暮らしいている平和がベースにあってこそです。
そして、戦前から同じ地域に根差して暮らしている人もいれば、那覇に移ってきたとか、本土から移ってきたとか、あるいは沖縄から世界に移っていったとか、そういう人の動きがあるのが現代なので、そういう人たちとつながりながら、今はいろんな視点で沖縄を見られる状況になっていると思います。

何事もメリット、デメリットありますが、いろんな立場の人がいることを踏まえてそれぞれの目線を大事にしながら、沖縄の未来を築いていければまた新しい文化ができるかもしれないですし、あるいは今までの文化をもっと大事にできるようになると思います。
現代の社会変化が基でつないでいくのが難しい文化というのも出てくるのですが、それでもやっぱりその地域の文化が大事だと思えるなら、どのように次の世代につないでいけるかを、今の私たち考えていかなければいけない、重い課題も背負っていると感じています。


 

復帰50年 沖縄美術 沖縄イメージ 原風景 復帰後

展覧会情報

会期 2022年07月20日(水) ~ 2023年01月15日(日)
場所 コレクションギャラリー1,ホワイエ,コレクションギャラリー2,コレクションギャラリー3
観覧料 一般400円(320円)、高校・大学生 220円(180円) 、小・中学生〔県外〕100円(80円)

※( )は20名以上の団体料金  
※未就学児、県内小・中学生は無料
※キャンパスメンバーズは無料 
※70歳以上の方、障がい者手帳をお持ちの方、および介助者の方1名は無料(身分証の提示が必要です)
開館時間 9:00~18:00(金・土は20:00まで) ※入場は閉館の30分前まで
休館日 毎週月曜日(月曜日が祝日にあたる場合は開館し、翌平日が休館)、年末年始
主催 沖縄県立博物館・美術館
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