(前回からの続き)
1.初めに住み始めた地
ヒサチにはアミガーと呼ばれる井戸と溜め池があり、それらはかつての集落が使っていたという伝承が残されています。井戸と溜め池の水は枯れてしまっているためにそれらの場所についても痕跡を現在、明確に見て取ることができません。もとからアミガーの水量は豊富ではなかったものと見ることができます。
最初に人が前島に住み始めた時期がいつ頃かは分かっていませんが、島に残る言い伝えでは、前島の北側に位置する拝島が最初の居住地であるとされています(写真1)。

写真1 拝島の位置
拝島は東西約300m、南北約700mの小さな島で水が得難いことから、前島の北東端にあるリンバマへと移り住んだとされています。
※拝島をはじめとする前島周辺の島々については過去のコラムで触れておりますので、気になる方は下記からアクセスしてください。
慶良間諸島の東にある廃村遺跡② ―前島集落跡へのアプローチ―
http://okimu.jp/museum/column/1742198312/
リンバマ周辺には平坦地が広がっており、「古島」と呼ばれています。それはかつての前島の居住地であることを意味しています(写真2)。この「古島」は現在、草木に覆われていることから内部への進入は難しく、これまで詳しい調査は行われていません。また、この平坦地北側の岩場には「大墓」若しくは「按司墓」と呼ばれる集団墓地が今も残されています。
写真2 洋上から望んだリンバマと古島
2.繰り返される集落移動
リンバマへ船を着けることが難しいことにより、古島からヒサチへ移動したとされています。それ以外にも水の確保についても集落が移動した理由の一つと考えられます。というのは主だった井戸跡がこの場所では見られないことから、十分な飲料水が得られたかと言えばそうではないという、単純な理解からです。また、集落規模が大きくなると食料だけでなく使う水の量も必然的に多くなります。よって、更に多くの水を求めて前島の人々は生活の場を再び南へと移したものと考えられます。
その後は先述したヒサチへ移り住んだ後、更に南に位置する前島集落跡へと移ることになりました。前島集落跡にあるニシヌカ―とフェーヌカーを見ると現在も水を湛えているのを確認することができることから、集落の人々の生活を支えるだけの豊富な水があったと言えます(写真3)。
写真3 ニシヌカー
このようにある程度の水量を確保できる場所に落ち着いた前島の人々は島が無人になる1962年まで前島集落跡に住み続けることになります。
3.水を求めた前島の人々
前島集落跡にあるニシヌカーの南隣には小さな水田が存在していたとされています。その一帯は現在、クワズイモが密生していることから今でも地下に水分を含んだ場所であることが解ります(写真4)。
写真4 水田跡
かつてニシヌカーから水田へと水が供給されていたことから、潤沢な水量のある井戸であったことが窺えます。この水の出どころは西側にある南北方向に延びる丘陵地下に浸透した雨水になります。この地下へ浸透した雨水は前島集落跡の標高附近にある、島の基盤とする不透水層の岩盤を伝ってニシヌカーへ湧き出すといった仕組みとなっています。標高133mの中岳を含むこの丘陵は巨大な水瓶のような役割を果たしていると言えます(写真5)。
写真5 前島集落跡から見た西側の丘陵
もう一つの井戸であるフェーヌカーもニシヌカーと同じような仕組みとなっています(写真6)。フェーヌカーは戦後、コンクリートのタンクが造られており、現在もタンク内には水が溜まっているのを見ることができます。
写真6 フェーヌカー
これらの井戸以外にも渡嘉敷小学校前島分校跡の裏手に学校の井戸があることからも、この前島集落跡は古島やヒサチと比べて水が得易い場所であったことが解ります(写真7)。このように水が容易に確保できる場所を見つけたことにより、集落としての体裁を段階的に整えていくことができたものと思われます。
写真7 学校裏の井戸跡
4.集落跡へ関心が向く動機
前島では拝島からリンバマ周辺、そして
前島集落跡へと集落の移転を繰り返してきましたが、このことは現在の前島集落跡に至るまで、前島の人々が苦労を重ねてきた道のりを示しています。最終的に安寧の地となるはずの場所が1962年に人口減少などの理由によって、前島から全ての人が離れることになりました(写真8)。
写真8 現在の前島集落跡
これまで7回にわたって 社会情勢や自然環境により島での生活は大きく変化すること、そして島でどのように集落が形作られてきたのかについて、紹介してきました。最後にかつての島民の方についても少し触れておきたいと思います。
前島では今も拝所や墓が残されていることはすでに触れた通りですが、元島民の方々や、そのご子孫の方々が年に数回、島へ訪れて拝みの行事や墓参りが行われています。そして、一時的ではありますが、前島集落跡に住まいを新たに構える元島民の方も近年にはいらっしゃいました。これらから前島へ郷愁や元島民としてのアイデンティティーが今なお、続いていることが窺われます。前島では現在、集落の痕跡を見ることができる一方で、元島民の前島集落への思いが続いていることから、集落のコミュニティは継続していると言えます。
廃村となる背景や状況についてはそれぞれの地域事情があります。前島集落跡から見て取れる集落の歴史は沖縄の離島における知られざる歴史の1ページを示していると言えるでしょう。
(おわり)
【参考文献】
中村文雄2012『語り継ぐメーギィラマ 渡嘉敷前島』自費出版
主任学芸員 山本正昭