琉球王国時代、数度の史書編纂が行われていました。1度目が羽地朝秀による『中山世鑑』、2度目は蔡鐸による『中山世譜』、3度目が蔡鐸の息子である蔡温による『中山世譜』でした。この蔡温本『中山世譜』は、王国終焉時の1876年まで書き継がれていました。この蔡温本『中山世譜』に少し遅れて編纂されたのが、『球陽』になります。
さて、『球陽』の大きな特徴は、収録記事の幅の広さです。それは、①琉球王国の創世神話から第二尚氏王統まで、②国王から庶民まで、③国内の政治・経済から災害などの天変地異まで、④町方(首里・那覇)から間切・島レベルまで、と琉球王国に関するあらゆる出来事について収録していることが大きな魅力の1つと言えます。
それでは『球陽』の情報源は何だったのでしょうか。これまで編纂した正史の記述からも採用されていますが、この他、首里王府の行政文書からの採用でした。王府の行政書類に「~日記」という資料があります。恐らく『球陽』の編纂者たちは、それら行政資料の中から、『球陽』に採るべき出来事を取捨選択し、それを漢文へ書き改め、『球陽』へ採録したと考えられます。このことから、『球陽』は琉球王国の歴史をコンパクトに整理した歴史書と言えます。
次にもう一つの『球陽』の大きな特徴は、他の正史と比べて諸本が多いことです。それは、『球陽』が他の正史と比べて、多彩な記事が収録されていたため、多くの人達の興味関心によって、写本が作成されていきました。これまで知られているだけでも、十種類の諸本が確認できます。この内、琉球王国時代に作成されたものもあれば、近代になって知識人達により『球陽』を写本しているケースも確認されます。
さて今回、当館の常設展示室の歴史部門展示室では、沖縄県博に所蔵している二種類の『球陽』を展示しています。この二種類の『球陽』は、朱書きによる句点や料紙に年号が確認できることから、数少ない琉球王国時代の写本と言えます。
県博本『球陽』には、朱書きによる書入れなどが確認できる。
1種類目は『球陽』巻12~巻20(前半)までの記事によって構成されています。この『球陽』の特徴は、朱書きによる点入れが行われている所です。記事の追加なども朱書きで書かれています。このほか、具体的な人名や地名に朱書きによる線が引かれているのも特徴的です。このことから『球陽』を作成するにあたっての下書きのような位置づけだったと考えられます。
2種類目の『球陽』は、王家の分家筋にあたる浦添御殿が所有していたと思われる『球陽』です。この浦添本『球陽』には、料紙に「光緒元年」(1875年)、「浦添御殿」と記載されています。
浦添御殿本『球陽』について
現在、当館常設展示室の歴史部門展示室では、6月15日(日)まで、「琉球王国の正史『球陽』の世界」を展示しています。ぜひ、この機会にご観覧頂けますと幸いです。
(沖縄県立博物館・美術館学芸員 大城直也)
博物館班 大城直也