最終更新日:2024.12.20
(前回から続く)
令和5年11月19日に当館企画展『海を越える人々(前期) 琉球と倭寇のもの語り』が閉幕して、1年が経過しました。前回は宮古島市歴史文化資料館にて企画展『琉球と倭寇のもの語りin宮古島』が閉幕したことをここで紹介させていただきましたが、今回はこの企画展が閉幕してからの1年を振り返ってみたいと思います。
当館では期間限定の展示会が毎年2回実施されます。それは企画展と特別展で基本的に2か月限定の展示会になります。展示テーマについては各分野の学芸員の裁量に委ねられており、1年以上前からその準備に取り掛かります。学芸員は準備する時間や労力を多く割いて展示作業を行っていくのですが、展示期間が限定されており更に展示が終了するとその次の日から撤収となります。
『琉球と倭寇のもの語り』も1回限りの企画展だったのが、阿嘉島(写真1)そして宮古島(写真2)で形を少し変えながらも巡回展示することができたのはとても珍しいケースであると言えます。その背景には環境省慶良間自然保護官事務所ならびに宮古島市教育委員会が全面的に協力していただいた点と、各島で多くの方がこの企画展を観覧していただいたように『海を越える人々(前期) 琉球と倭寇のもの語り』という展示に興味関心を持っていただいたという点にあります。
写真1 令和6年2月に阿嘉島で行われた『琉球と倭寇のもの語り』の展示風景
写真2 令和6年9月に宮古島で行われた『琉球と倭寇のもの語り』の展示風景
倭寇に対して荒くれ者で粗暴、残虐行為を行う集団としてのイメージを抱いている方が多くいらっしゃるのはこれまでの『琉球と倭寇のも語り』の観覧者からのアンケートから見て取ることができたのですが、その一方で海を越えて新たな世界を切り開こうとした人々、倭寇の存在が交易を盛んにさせた、といった歴史的な背景を伴った中でのイメージを抱いている方も少ないながらもいらっしゃいました。
14世紀後半から琉球列島のみならず中国大陸や朝鮮半島では王朝が交代し、戦乱の時代へ入っていき、16世紀前半にはポルトガル、スペイン商船が東アジア海域で活動しはじめて、世の中がグローバル化していくという大きな社会の変革期にありました。琉球列島でも14世紀後半から15世紀前半にかけて戦乱の時代から統一王権が成立していくという激動の時代でありました。そのような中で人々は時代に翻弄されていくだけでなく、力強く生きようとした人々の一つの形が倭寇という存在であったと言えるでしょう。当時の時代背景を鑑みると倭寇は時代が生み出した現象であると言えると共にその活動のみを切り取って倭寇の実態を語ることは倭寇の本質について理解せずに倭寇の実態を語ることに等しいと言えます。
16世紀後半に倭寇の活動が下火になると、中国大陸では倭寇討伐を行った際の戦果、功績を称えるという状況が中国大陸各地で見られるようになります。その倭寇討伐の戦果や功績をビジュアルで示したのが『倭寇図巻』や『抗倭図鑑』といった絵巻物になります。
このような倭寇の活動が沈静化した後の状況で、倭寇によるイメージも後世において変化していったと言えます。そのため、後世に加えられた脚色等を排除して当時における倭寇の姿にどれだけ迫ることができるのかが、3回のわたって行われた企画展『琉球と倭寇のも語り』の大きな課題になっていました(写真3)。
写真3 展示解説会の様子
倭寇に対するイメージがこの企画展を通して、どのように変わったのかは展示を観覧された方のそれぞれの胸中にあると言えますが、倭寇という集団が様々な資料から当時の姿を読み取ることができることを感じ取っていただけたかと思います(写真4)。
写真4 沖縄県立博物館・美術館行われた『琉球と倭寇のもの語り』の開催風景
これまで14回にわたって続けさせていただきました「倭寇を考える」のシリーズは今回で最終回になります。展示を行う前と沖縄県立博物館・美術館での展示が終了して1年を経た現在では倭寇に対する知識の量が変わり、同時に倭寇のイメージも変わっていきました。また、どこかで機会がありましたら、倭寇について綴っていこうと思います。
(おわり)
(主任学芸員 山本正昭)
主任学芸員 山本正昭