最終更新日:2024.10.17
(前回からの続き)
与論町教育委員会から与論グスクジオラマ模型の借用の依頼を受けて以降、借用に合わせて与論グスクの現地説明会やジオラマ模型の解説会も同時に実施して、より多くの方々に見ていただく切っ掛けをつくっていこうとする運びとなりました。その詳細については前回のコラムにて告知しておりますので 詳細については下記URLからご覧いただければと思います。
http://okimu.jp/museum/column/1729062351/
数あるグスクの中でなぜ与論グスクをジオラマ模型の題材としたのか。それにはいくつか理由があります。
まずは南北に走る断層崖の高低差を取り込んで与論グスクの縄張りが展開している点があります(写真1)。崖上の空間と崖下の空間をうまく取り込んだ縄張りは実際に見てまわると迫力がありますが、画像で見ると伝わらない部分が多くあります。ジオラマ模型化することでその全体像が俯瞰で見て取れ、その実態が手に取るように分かることが大きな理由の一つです(写真2)。
写真1 与論グスク内を横断する断層崖
写真2 与論グスクジオラマ模型に見る断層崖
そして、自然地形を巧みに取り込んで城郭としての機能を果たしている点がもう一つの大きな理由になります。崖下から与論グスクの中枢部へ至る登坂道に取り付くように幾つもの石積みや平場が展開しているその姿は、鉄壁な防御ラインを設定していることが分かります(写真3)。それらの石積みや平場は緩やかになった斜面に手を入れて石積みを構築、そして平場を作り出しています。その自然地形と縄張りのコラボレーションの妙をジオラマ模型内で再現できれば、城づくりの実情が見て取れると思ったことによります。
写真3 斜面に取り付く石積み遺構
最後にジオラマ模型の製作が決定する以前に何度も与論グスクに足を運んでいたことも、題材として取り上げた理由になります。そこには当時、与論町教育委員会が与論グスクの遺跡整備を進めていこうとしていたこともあり研究者に対して長期にわたって熱心に受け入れていただいた背景があります。
沖縄本島最北端の辺戸岬から与論島までの距離はわずか23kmであることから、与論グスクの中心部にある琴平神社・世之主神社(写真4)付近から南を望むと沖縄本島をはっきりと見て取ることができます(写真5)。
写真4 与論グスクの中心部に位置する琴平神社と世之主神社
また、視点をやや右側へ移すと伊平屋島や伊是名島も同じく望むことができることから、この与論島は沖縄本島と九州方面との航路上においては要所にあることが分かります(写真6)。
写真5 与論グスクから沖縄本島を望む
当時、海外との交易を行っていた琉球王国としては与論島を押さえておくことが交易上の観点から重要であると見てからか、山北王の三男とされる王舅という人物により与論グスクを築かせたという伝承が残っています。1416年の山北滅亡により与論グスクは築城途中で廃城となったとされ、その後は中山王である尚真王の次男と伝えられている尚朝栄、別名「花城真三郎」が1525年に与論世之主又吉按司として島を治めたと後世の史料に記されています。
写真6 与論グスクから伊平屋島を望む
これらの伝承には虚実が織り交ぜられていると思われますが、琉球王国にとって与論島は長年にわたり無視できない存在であったことが想像されます。
与論グスクの近くにサザンクロスセンターという展示施設にて令和6年12月から令和7年3月にかけて与論グスクジオラマ模型が展示される予定です(写真7)。
写真7 サザンクロスセンター
与論島在住の皆さんにお披露目できる喜びが沸き上がると共に、与論グスクの近くでこのジオラマ模型が展示できることで、実際に与論グスクを見て回る上で見どころを事前に知り、より深く現地で確認できるという活用が見込まれます(写真8)。加えて、周辺地形もジオラマ模型を見ることで全体のイメージができた中で与論グスクを探索できるので、効率良く見て回ることができます。
ほかにも様々な活用が見込まれるものと思われますので、与論島を訪れた際には是非、与論グスクとジオラマ模型の両方を見ていただきたく思います。
写真8 与論グスクの石積み(手前)とサザンクロスセンター(奥)
(おわり)
(主任学芸員 山本 正昭)
主任学芸員 山本正昭