1. 倭寇について考える⑧―島に残る海賊の伝承について―

倭寇について考える⑧―島に残る海賊の伝承について―

最終更新日:2024.04.12

 

令和5年11月19日に博物館企画展『海を越える人々(前期)琉球と倭寇のもの語り』が無事に閉幕しました(写真1)。観覧者数5829人を数えまた、関連講座やシンポジウム、ワークショップ、展示解説会にも多くの方々が参加されたことに対して、関係者の皆様や観覧者、関連企画にご参加いただいた方々へ深く感謝申し上げます。
 実はこの企画展が終了した後、当展示を縮小して令和6年2月17日から3月23日にかけて慶良間諸島にある阿嘉島にてミニ企画展を行っていました(写真2)。広報を大々的に打っていなかったため、ひっそり始まりひっそり終わった感じになってしまったので、本コラムにてその様子について2回に分けて記していきたいと思います。
 

  
写真1  令和5年度企画展『海を越える人々(前期)琉球と倭寇のもの語り』展示状況


写真2 阿嘉島での展示準備の様子

1.いきなりの展開へ

 先に触れた博物館企画展『海を越える人々(前期)琉球と倭寇のもの語り』を阿嘉島で実施するに至ったのは、令和6年に慶良間諸島国立公園(写真3)が指定されて10周年という節目を迎えるのに合わせて環境省慶良間自然保護官事務所が何か当館とコラボ企画ができないかという相談を受けたことが始まりになります。慶良間諸島はかつて中国大陸と琉球を結ぶ航路上に位置しており、歴史的に見て交易路としては重要な地域であったことから、当展示でも慶良間諸島については少しだけ取り上げていました。
 11月19日に展示が終了して以降、展示パネル等は使用する予定もとくに無かったことから、年明け頃に慶良間諸島国立公園指定10周年の記念事業として環境省慶良間自然保護官事務所と共催で実施していく計画が展示終了の直前に立ち上がりました。全く予期していない展開ではありましたが、中々沖縄県立博物館・美術館へ足を運べない離島の方々へ展示を見ていただく良い機会だと思い、前向きに検討することになりました。
 そこから、展示場所や展示期間、展示の内容構成、展示資料のリストアップ、関連催事などが短期間内に具体化し、開催が決定される運びになりました。

写真3 渡嘉敷島から慶良間諸島の島々を望む
 

2.なぜ阿嘉島での開催なのか、その理由は

 展示場所は環境省慶良間自然保護官事務所からの提案で阿嘉島のさんごゆんたく館となりました(写真4)。当館のように広い展示室ではないため、コンパクトにまとめて展示を行う必要があったことから、再度展示構成を練り直して何とか2月17日の開催に漕ぎつけることができました(写真5)。
 また、阿嘉島で当展示を実施するにあたって、当館の里井館長から阿嘉島には海賊が襲来したという伝承が残っていることを改めて教えていただきました。それは『阿嘉・慶良間由来記』という近代にまとめられた文献史料にて見ることができます。内容としては1602年に日本の海賊、数百人が5艘の船で慶良間島に上陸して略奪行為を行い、さらには島民が殺害されたという惨事が記されています。更に海賊による蛮行を止めるために島の古老達が御凌嶽と呼ばれる拝所にて祈願したところ、赤衣をまとった思加那志金神が金鼓を鳴らして現れ、風雨と共に天神・地神数百人が武器を携えて拝所に集結したとあります。それに驚愕した海賊は船に乗り北方へ退散しましたが全て、海中へ沈んだという説話調の内容で締められています。
興味深いのは、沖縄県内において海賊が侵攻したという伝承はほとんど見られない中で海賊が襲来した規模、そして撃退したことなど詳細な内容について触れている点にあります。阿嘉島を含めた慶良間諸島が中国大陸と琉球との主要な航路上にあったことから、往来する人々の中には海賊行為を行う人々が存在したことは容易に想像できます。それと共に、このような数々の海賊行為をまとめた伝承であると見ることができます。

写真4  展示会場となった、さんごゆんたく館

 


写真5 さんごゆんたく館での展示の様子

  • 3.琉球列島における倭寇の活動

 『阿嘉・慶良間由来記』に見える上記の伝承は琉球列島における倭寇の活動を知る上では貴重な伝承であること、そして阿嘉島で同展示会を開催することへの理由付けとしてはこの上ない素材であることは言うまでもありません。
 一方で中国大陸と比較しても文献史料も含めて倭寇による略奪行為が琉球列島にて行われたということはあまり記されていない点については疑問が残ります。
 一つの解釈ですが、中国大陸を支配していた明朝が14世紀後半に海禁政策を実施して以降、民間人による対外交易が厳しく制限されていくのに対して、琉球はその制限からは外れていたことから民間人による交易は円滑に行われていたことにより、海を往来する人々による略奪行為のメリットはあまり見出すことができなかったものと考えられます。また、明朝による海禁政策は中国大陸沿岸部に住む民間人が生活の糧を失ってしまった事から、中国大陸側では略奪行為におよんだということも考えられます。これらのことから、中国大陸沿岸部と琉球列島における倭寇の略奪行為が大きくその様子を異にしている理由として挙げることができます。

    阿嘉島での展示会は『慶良間諸島国立公園指定10周年ミニ企画展 海を越える人々 琉球と倭寇のもの語り』と題して2月17日に無事に始まりました。次回ではこれらの関連催事について触れていきたいと思います。

 (次回へ続く)
 
 

主任学芸員 山本正昭

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