最終更新日:2023.11.22
10月14日に実施した学芸員講座「ジオツアー 沖縄の地層とゆんたくしようよ!―陸に残る泥の海とサンゴの海の跡―」では、沖縄島南部の地層を観察していただきました。 その様子を踏まえて、沖縄島南部の地質と、関連する地質学的な内容について書きたいと思います。 沖縄島南部を構成する主要な地質は二つに分かれています。具体的には、①後期中新世~前期更新世(約780〜200万年前)の島尻層群(豊見城層、与那原層、新里層)、②前期〜後期更新世(約170〜10万年前)の琉球層群(糸満層、那覇層、港川層)となります。ここで使った「層群」という言葉は、岩石の特徴に応じて地層を区分する岩相層序単元の単位の一つで、同じ堆積盆地(沈降する間に厚い堆積物が積もった範囲)内に堆積した地層全体をまとめて呼称するものです。多くの場合、層群は各地域の地質の分布を表した地質図上で表現される最小の地層の単位である「層」を複数含みます。
写真1 学芸員講座の様子
10月のジオツアーではご案内することができなかったのですが、島尻層群は沖縄島中南部を代表する地層の一つです。主に泥岩や砂岩の地層が多く、南は宮古島から、北は鹿児島県の喜界島まで分布します。特に泥岩は「クチャ」と呼ばれ、泥パックの材料として美容の面で需要があります。また、泥は風化して「ジャーガル」と呼ばれるアルカリ性の土壌になり、サトウキビや野菜の栽培に使われてきました。島尻層群の泥岩は手で容易に削れるほど柔らかい場合もあり、道路工事などで露頭が出た場合は速やかに吹付が行われ、観察できなくなってしまう場合が多々あります。一見泥だけの地層のように見えますが、ところによっては貝類の化石(Macneil, 1960など)、材化石(植物の幹が炭化したもの)(寺田ほか,2019など)や、サメの化石(上野ほか,1974など)が見つかることもあります。
琉球層群は石灰岩主体の地層で、「琉球石灰岩」とも呼ばれます。ちなみにですが、地層の命名にあたっては「層」以上の単元に岩石の性質を現す言葉を使うのは好ましくないとされています(Salvador, 1994; Murphy & Salvador, 1999)。そのため、「琉球石灰岩」は地層命名規約や、日本地質学会の地層命名の指針に反した言葉となります。ただし、通称名としては今も使われています。琉球層群の分布範囲は広く、南は与那国島から北は鹿児島県の喜界島まで分布します。琉球層群の地層(層)は島によって個別の名前が与えられている場合が多く、沖縄島には糸満層、那覇層、港川層などが分布しています。琉球層群の石灰岩の多くは、主に石灰質の体や殻を持つ生物の遺骸が堆積して、続成作用により岩石となったものです。ジオツアーの中では八重瀬岳周辺の露頭を回り、サンゴ石灰岩が含まれる地層も観察することができました。しかし、沖縄島中南部でもサンゴ石灰岩を観察できる場所は決して多くありません(寒河江ほか,2012)。では、琉球層群に含まれる石灰岩は何が多いのでしょうか?答えは「石灰藻球石灰岩」です。あまり聞き慣れない言葉かもしれませんが、実は街中での生活でもよく目にしている石灰岩なのです。石灰藻球は、主に無節サンゴモという藻類(紅藻)の仲間と、被覆性底生有孔虫が集まったものです。この石灰藻球は、1980年代以降、現在の水深50~150 mに広く分布することが分かりました。今では、陸上に露出する石灰岩が堆積していた時の環境(古環境)を推定するために欠かせない指標となっています(Iryu,1992など)。石灰藻球は琉球層群だけで見つかるものではなく、石垣島の約3500万年前の宮良川層群からも石灰藻球の化石が見つかっています(Ujiié & Miyagi, 1973など)。沖縄県内では石材として石灰藻球石灰岩が様々な施設で使われているので、ぜひ探してみてください。
写真2 石材中の石灰藻球(沖縄県立博物館・美術館、屋外展示)
沖縄島南部の主な地層は島尻層群と琉球層群ですが、沖縄島の中南部では両層群の中間的な特徴(石灰質の粒子を多く含む砂岩・泥岩)を持った知念層と呼ばれる地層が存在します。特に太平洋側の沖縄島中南部に分布している地層で、北は鹿児島県喜界島まで分布しています(松田ほか、2023)。知念層は、産出する微化石(主に石灰質ナンノ化石)の研究により、およそ200〜120万年前に堆積した地層であることがわかっています(小田原ほか,2005;千代延ほか,2009など)。この時期は琉球列島の周辺が「いそがしい」時期でした。ユーラシア大陸の中国沿岸と琉球列島の間には、水深2,200 mに達する沖縄トラフという舟状に深い海域が存在します。この沖縄トラフが拡大し、現在の姿に近い状態となったのが、およそ知念層が堆積した時期である200~150万年前と考えられています(木村,1990)。また、ほぼ同時期に、沖縄島南部の堆積盆は10万年以内という地質学的なスケールで見れば非常に短い期間で、250±100 mも浅くなったことがわかってきました(松本ほか、2023)。沖縄トラフという深海が琉球列島と大陸の間にできたことで、それまで大陸沿岸から運ばれていた泥や砂は琉球列島の島々の沿岸ではなく、沖縄トラフの底に積もるようになりました。こうしたダイナミックな変化があったことで、約170万年前から現在までサンゴ礁が広がる地域が存在することになったのです。島で暮らす人々にとっては日常の風景となっているサンゴの海ができるまでは、 劇的な大地の変化があったのです。
沖縄島南部の地層の小難しい話が続きましたが、最後に学芸員講座の際に見ることができた自然の産物を紹介したいと思います。具志頭浜では、琉球層群の石灰岩からなる複数の巨岩を見ることができます。その一部に、「マースブリ(=塩の巨岩)」と呼ばれる岩があります。この岩には侵食(溶食)されてできたくぼみが多く、そのくぼみで天然の塩が析出することから、「マースブリ」と呼ばれるようになったようです。学芸員講座の下見の際には塩は見ることができなかったのですが、当日は非常にわかりやすい状態で塩が析出しており、参加者の皆さんにも見ていただくことができました。
写真3 具志頭浜のマースブリに析出した塩(白く見える部分)
学芸員 新山颯大