1. ルイス・ビンフォードと沖縄

ルイス・ビンフォードと沖縄

最終更新日:2023.05.16

 

はじめに

 ルイス・ビンフォード(Lewis R. Binford: 1931~2011)は世界的に知られた米国の考古学者です。彼は1960年代に勃興したプロセス考古学(processual archaeology)やニューアーキオロジー(New Archaeology)の先駆者とみなされており、20世紀後半で最も影響力のある考古学者の一人です。
 ビンフォードは、遺物をカタログにもとづいて分類するという伝統的な考古学の手法に満足せず、生きた人間(狩猟採集民)の生態学的・文化的観察から、考古学的な遺跡や遺物を解釈するという民族誌考古学(ethnoarchaeology)の方法論の確立に努め、新たな視点から多くの論争を巻き起こしました。

 

ビンフォードと沖縄

写真1 龍潭のほとりにあった首里博物館(写真中央左の瓦葺きの建物。その左隣がペルリ記念館。)
写真1 龍潭のほとりにあった首里博物館
(写真中央左の瓦葺きの建物。その左隣がペルリ記念館。後方の建物群は琉球大学。)
写真2 首里城正殿模型(工匠 知念朝榮氏。木彫は渡嘉敷利次氏による。) 沖縄県立博物館・美術館 所蔵
写真2 首里城正殿模型
(工匠 知念朝榮氏。木彫は渡嘉敷利次氏による。)
沖縄県立博物館・美術館 所蔵

写真3 ペルリ記念館に展示されていた守礼門模型(工匠 知念朝榮氏) 沖縄県立博物館・美術館 所蔵
写真3 ペルリ記念館に展示されていた守礼門模型
(工匠 知念朝榮氏)
沖縄県立博物館・美術館 所蔵

 ビンフォードには、大戦後の一時期沖縄に滞在していた経歴があります。
 そもそも彼は、生え抜きの考古学者というわけではありませんでした。当初、バージニア工科大学で生物学を学んでいましたが、経済的理由から軍役を志願し、即席の日本語教育を受けた後、当時朝鮮戦争の作戦支援基地となっていた米軍統治下の沖縄に赴任しました。
 ビンフォードが目にした1953年当時の沖縄は、1952年に発効したサンフランシスコ講和条約によって主権を回復した日本本土とは対照的に、引き続き米軍統治下に置かれ、占領政策や軍用地の扱いをめぐって米軍と住民との軋轢が噴出していました。彼は、琉球列島米国民政府(USCAR:United States Civil Administration of the Ryukyu Island)のもとで、地元住民と米軍関係者との通訳を務め、当時、米国の太平洋学術部会(Pacific Science Board)が推進していた琉球列島学術調査(Scientific Investigations in the Ryukyu Islands (SIRI))に関わっていた人類学者、アラン・スミス(Allan H. Smith)やウィリアム・リブラ(William P. Lebra)らとも交流をもっていたようです。
 また、彼は1953年5月に、琉米親善事業として企画・実施された「ペリー提督来琉百年記念行事(ペルリ来琉100年祭)」(琉球政府行政主席官房 1954)にも携わりました。この行事では閲兵式や親善バザー、工芸品展覧会、親善体育大会、仮装行列、花火大会など、多くのイベントが開催され、5月26日(ペリーが来琉した1853年5月26日から100年にあたり、「琉米親善の日」とされました)には軍の資金援助で建設されたペルリ記念館の譲渡式ならびに琉球政府立首里博物館(写真1)の落成式が行われました。
 ペルリ記念館には、戦前の首里城修復に参加した工匠 知念朝榮氏が、首里劇場構内にあった製作所で2年の歳月を費やして製作した首里城正殿模型(縮尺10分の1)(木彫は渡嘉敷利次氏による)(写真2)と守礼門模型(縮尺5分の1)(写真3)が展示されました。
 この式典では譲渡式や落成式と合わせて、米国に持ち出されていた「おもろさうし」22巻や聞得大君御殿雲竜黄金簪(きこえおおぎみ うどぅん うんりゅう おうごんかんざし)などの貴重な文化財が尚家に返還され、首里博物館(現在の沖縄県立博物館・美術館の前進)に収蔵されました。これらは、沖縄戦の際に多くの文化財が失われ、その一部が米国に渡ったことを知って、沖縄に対する同情と深い関心をもつようになったウィリアム・デイヴィス軍曹、そして彼に協力した日系2世の吉里ヒロシ氏らの尽力で所在がつきとめられ、返還されたものです。
 1953年12月には、奄美諸島の日本復帰に伴う通貨交換にも従事し、離島をめぐって、まるで「新石器時代のような村」にも出会っています(Sabloff 1988)。そうした日々は、彼に強烈な異文化体験をもたらしたようです。

 

ビンフォードの沖縄考古学

 彼は軍用地の収容や引揚者の再定住施策、英語教師などを務める傍ら、人類学、考古学にも興味をもち、沖縄の古墓や貝塚の調査も行うまでになりました。SIRIプロジェクトに協力した植物学者の一人であり、「沖縄考古学の父」とも呼ばれる多和田真淳(たわだしんじゅん)氏とも交流をもっていたようです。彼の考古学者としてのキャリアにおける最初の出版された記事は、1954年5月17日の星条旗新聞(Stars and Stripes)に掲載された「下士官が先史時代の琉球のくらしを明らかにする(NCO bares prehistoric Ryukyus life) 」と題する記事でした。
 星条旗新聞の記事によれば、彼は伍長(corporal)として勤務する傍ら、余暇を利用して琉球の人々の文化や歴史(伝説、歌謡、舞踊など)を学ぶとともに、先史時代の貝塚の発掘も行っていたようです。発掘した貝塚は崖下に位置しており、崖の上からは竪穴住居が発見されたこと、そしてそれらが中国の揚子江流域のものに類似していることに言及し、伝説や地質学者が指摘する世界的な洪水によって、多くの人々が琉球に逃れ、高台に居住したのではないかとも述べています。
 また彼は、遺跡から出土する獣骨にも注意を払っており、そうした骨の分析から、琉球の人々が他の太平洋地域の島々から渡来したという説とは対照的に、人々がこの島で長い年月の間、生活し、島のくらしに適応していたのではないかと考えていたようです。

 

70年目の再発見

写真5 ビンフォードが収集した貝製品(うるま市伊波貝塚) 沖縄県立博物館・美術館 所蔵
写真4 ビンフォードが収集した貝製品(うるま市伊波貝塚)
沖縄県立博物館・美術館 所蔵

写真4 ビンフォードが収集した石敢當(いしがんとう) 沖縄県立博物館・美術館 所蔵
写真5 ビンフォードが収集した石敢當(いしがんとう)
沖縄県立博物館・美術館 所蔵


 

 ビンフォードの沖縄滞在はわずか2年ほどの短い間だったようですが、沖縄での異文化体験を通して、彼は考古学や人類学に深い関心を持つようになり、帰米後はミシガン大学で学位を取得し、この道の大家となりました。一方、残念ながらその後、ビンフォードは沖縄の考古学を手掛けることはありませんでした。
 沖縄県立博物館・美術館のコレクションには、首里博物館から引き継がれた資料も多く含まれています。その中に、ビンフォードから寄贈された貝塚出土の遺物(写真4)や古墓から採集されたと思われる陶磁器類、石敢当(いしがんとう)(写真5)といった多彩な資料群があり、これらについては、安里嗣淳(あさとしじゅん)氏による紹介があります(安里2012)。 
 これらに加えて、最近、フィルム保管庫の棚に並ぶ古いアルバム(写真6)の中から、ビンフォードの足跡をめぐるささやかな発見がありました。1954年3月6日に首里博物館を訪れ、資料を寄贈するビンフォードを撮影した写真が見つかったのです(写真7)。
 この写真はビンフォードの伝記(Yu et al. 2015)に掲載されているものと同じ写真で、裏面には日付と「1500~1600年前の沖縄の遺物を首里の博物館に寄贈する考古学者」というメモ書きがあります。ビンフォードの沖縄での考古学的活動を物語る、鮮明な記録として、資料的価値の高いものです。
 今後も、資料の探索、調査研究を通して、ルイス・ビンフォードの活動の軌跡を追跡していきたいと考えています。

写真6 フィルム保管庫にあった古いアルバム
写真6 フィルム保管庫にあった古いアルバム

写真7 ルイス・ビンフォードの写真
写真7 ルイス・ビンフォードの写真
裏面に「1500~1600年前の沖縄の遺物を首里の博物館に寄贈する考古学者 1954年3月6日」のメモあり


本コラムの執筆にあたり、安里嗣淳氏(沖縄サンゴ礁文化研究所)、濱口寿夫氏(護佐丸歴史資料図書館)には貴重な情報をご教示いただきました。記して謝意を表します。
 
【参考文献】
安里嗣淳2012『沖縄考古学史探訪』沖縄サンゴ礁文化研究所
沖縄県立博物館 1996『沖縄県立博物館50年史』
琉球政府行政主席官房 1954 『ペルリ百年祭記録』『情報特集』第27號
Sabloff, P. L. W (1988) Conversations with Lew Binford: Drafting the New Archaeology. The University of Oklahoma Press. USA. 108p.
Yu, P., Schmader, M., Enloe, J. G. (2015) “I’m the Oldest New Archaeologist in Town”: The intellectual evolution of Lewis R. Binford. Journal of Anthropological Archaeology, Vol.38: pp.2-7;
 
 
 

 

主任学芸員 山崎真治

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