1. 復帰49年「沖縄」の景色

復帰49年「沖縄」の景色

最終更新日:2021.10.28

復帰前といえば?

「復帰前」というと皆さんは何をイメージしますか? 「激しい復帰運動」でしょうか。または「相次ぐ米軍基地がらみの問題」でしょうか? 復帰前をよく覚えている方々には戦後から復興し、アメリカ施政権下においても強く頑丈に生活した思い出がつまっていることと思います。一方で沖縄県の人口構成を年齢別にみると復帰後生まれが約6割以上となっており、「復帰前」は遠い過去のことになりつつあるといえるでしょう。
 

復帰前の記録映画「沖縄」

『沖縄』1963年頃モノクロ16mm 約32分 企画・製作:琉球政府 計画局広報課

さて当館では歴史、考古、民俗、美術工芸、自然史など10万件を超える資料を保管していますが、歴史資料のなかには戦前戦後、復帰前などの写真や映像も含まれています。なかでも色あせやうねりなどフィルムの状態が良好でないものは室温18℃、湿度35%の劣化フィルム保管庫で保存管理しています。同保管庫には35㎜や16㎜フィルム390本の記録映画に加え、未編集のまま撮影された当時の状態で残っているラッシュフィルムといわれるものも多数あります。そんな劣化フィルムのなかに復帰前の沖縄を記録した映画が含まれています。1963年頃に製作されたもので、ずばりタイトルは『沖縄』。劣化が進行しているため映像は途中で暗くなったり明るくなったりします。また残念ながら音声も残っていません。

(写真:『沖縄』1963年頃モノクロ16mm 約32分 企画・製作:琉球政府 計画局広報課)
 

魅力あふれる『沖縄』の映像

写真:『沖縄』1963年頃モノクロ16mm 約32分 企画・製作:琉球政府 計画局広報課

映画は当時の琉球政府計画局広報課が企画・製作を行いました。映画の冒頭に「音楽:大浜長栄 宮里春行 多和田スミ」「舞踊:真境名由康 真境名由苗」というテロップが流れます。沖縄本島北部の美しい自然の景色、与那原の大綱引き、那覇市の国際通り、琉球政府行政ビル、琉球大学、那覇空港、紅型や壺屋の工芸、本島南部の戦跡などが記録され、最後に小学校の運動場で遊び、教室で学ぶ子どもたちで締めくくります。まるでタイムスリップしたかのような魅力あふれる映像です。「復帰前」を追体験するような感覚です。

(写真:『沖縄』1963年頃モノクロ16mm 約32分 企画・製作:琉球政府 計画局広報課)
 

現代の『沖縄』へ

写真:『沖縄』1963年頃モノクロ16mm 約32分 企画・製作:琉球政府 計画局広報課
写真:『沖縄』1963年頃モノクロ16mm 約32分 企画・製作:琉球政府 計画局広報課

赤瓦屋根が並ぶ沖縄の風景にアメリカ製の乗用車が走り、平和通りを行き交う人々の表情は日常をたくましく生きる様子が伝わります。那覇空港のシーンでは歓迎会で観光客と地元沖縄の人々が初めて会う緊張感というか初々しさが記録されています。港で県外に出発する船を大勢の人で見送る様子は、沖縄を離れることが大変なことだったことがわかるでしょう。記録映画『沖縄』のなかには「アメリカ世」と「大和世」を経験した沖縄が戦争を乗り越え、自らの自然・歴史・文化を大切にして平和を思い、未来を子どもたちに託していることを現代の私たちに訴えてきます。
復帰50年という節目を迎えるにあたり、復帰前や復帰後の記録映画を見ながら沖縄の個性について考える日々が続いています。

(写真:『沖縄』1963年頃モノクロ16mm 約32分 企画・製作:琉球政府 計画局広報課)

博物館班長 主任学芸員 外間一先

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