1. 首里城の建物に葺かれていた瓦の色は赤色なのか、灰色なのか

首里城の建物に葺かれていた瓦の色は赤色なのか、灰色なのか

最終更新日:2020.11.09

 おきみゅーには様々な資料が保管されていますが、その中でも首里城内の建物に葺かれていた瓦がいくつか考古・陶磁器収蔵庫に収められています。これらの資料がおきみゅーで展示されたことは記憶の限りありません。そこで、戦後間もない頃に首里城跡から拾われたこれらの瓦7点を、かつての首里城の姿を想い描いていただくためのきっかけとして、11月5日から期間限定で展示するコーナーを常設展示室入口前に設置いたしました。
 今回展示している瓦は、明朝系瓦、高麗系瓦、大和系瓦の3種類になります。明朝系瓦は、1945(昭和20)年に沖縄戦で焼失した首里城正殿や北殿、南殿などに葺かれていた瓦で(写真1)、18世紀から19世紀に沖縄本島で造られていました。この瓦は中国大陸の建物で見られる瓦で、軒平瓦は滴水瓦という別名を持っています。また、今回展示する瓦の色合いは赤だけではなく褐色や灰色も見られることから、かつての首里城建物には赤瓦だけではなく褐色や灰色の瓦が混在してあったことが分かります。
 一方で、色合いが基本的に灰色である高麗系瓦、大和系瓦は、首里城で最も古い時期の瓦葺建物に葺かれていた瓦になります。高麗系瓦は、朝鮮半島の瓦造り技術を用いて沖縄本島北部で造られた瓦であると考えられており、明朝系瓦と比べてかなり大振りの瓦となっています(写真2)。また、大和系瓦は、日本本土の瓦造り技術を用いて造られた瓦(写真3)で、やはり沖縄本島北部で造られた瓦です。両瓦は14世紀頃に日本本土と朝鮮半島の瓦造り職人が沖縄本島北部に来て造った瓦で、造られた後は首里城や勝連グスク、浦添グスクへ運ばれてそれらグスクの建物屋根に葺かれました。当時の瓦葺建物は現在、残っていませんが、浦添市にある浦添ようどれ館の屋根には高麗系瓦の復元模造瓦で葺かれているので、その雰囲気を窺い知ることができます(写真4)。
 こうして見ると、首里城の建物に見える瓦は赤瓦である印象が強いですが、実は全て赤瓦で葺かれていたのは平成に復元された首里城の建物のみであり、1945年以前にあった首里城建物は灰色の一色のみ、または赤や灰色の瓦が混在して葺かれていたようです。
 以上のように首里城に葺かれていた瓦を見るだけでも、首里城に対するイメージがかなり変わってきます。是非ともおきみゅーの常設展示をご見学される前にこれらの瓦をご覧いただけたらと思います。
 最後に令和2年9月24日の学芸員コラムにてご案内させていただいた法政大学沖縄文化研究所主催のシンポジウム『グスクとしての首里城―東アジアの視点から―』ですが、下記のとおり詳細が決定しました。首里城に興味がある方は是非、ご覧いただけたらと思います。
 
〇法政大学沖縄文化研究所主催シンポジウム
「グスクとしての首里城―東アジアの視点から―」
公開期間 2020年11月27日(金)~2021年3月31日(水)
公開アドレス:https://www.youtube.com/channel/UCcKhhqzK9DI1GtvQUDs4NUg
     ※YouTube動画配信によるオンライン公開シンポジウムです。
共催 沖縄県立博物館・美術館
 
第一部 個別報告(各40分)
「朝鮮半島と日本の古代城郭」向井 一雄(古代山城研究会)
「中国東北部の城郭史」臼杵 勲(札幌学院大学)
「日本の中世居館と城」小野 正敏(国立歴史民俗博物館名誉教授)
「首里城の原点を探る」山本 正昭(沖縄県立博物館・美術館)
第二部 討論(約60分)
 討論司会:石井 龍太(城西大学)
 

写真1 現代の家屋にも見られる明朝系瓦


写真2 首里城表採の高麗系瓦


写真3 首里城表採の大和系瓦


写真4 高麗系瓦復元資料(浦添市教育委員会所蔵)
 

主任学芸員 山本正昭

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