1. 義村朝義の描いた「朝日と波」の事実と真実

義村朝義の描いた「朝日と波」の事実と真実

最終更新日:2017.11.29

最近、遠藤周作の『イエスの生涯』を読んだ。聖書をたどりながらイエスの生きざまを紹介するエッセイである。そこに「事実」と「真実」という言葉がよく出てきた。イエスという人物を巡る「事実」があるが、しかし「真実」は別だというのである。弟子たちがつくりあげた聖書とその後のキリスト教こそ「真実」だと遠藤は筆を置いている。歴史をたどる仕事をしている私にとってこれは琴線に触れる言葉だった。

義村朝義(1866~1945)の「朝日と波」から事実と真実を考えてみよう。
義村がこの絵を描いたことは事実である。山を描くようにうねる大波の彼方に円形の朝日が昇っている。お正月などの目出度い場で床の間に掛ける絵だと何となく思っていたが、よく考えると不思議な表現である。海がこのように大波の場合、朝日はこのように美しく見えるだろうか? 恐らく強い風が吹き、波はもちろんだが、雲も流れ、御来光は拝めないかもしれない。見えたとしても雲間からわずかに光が覗く程度だと思われる。

彼が琉球から沖縄へという激動の時代を生きたことは事実である。王国から琉球藩へそして廃藩置県と世替わりのなかで、琉球の存続を願い清国へ嘆願に出かけて人達がいた。朝義の父、兄もその脱清人で、彼に絵を指導した師毛文達(小波蔵安章:1838~1886)も北京で客死している。朝義が若くして家督を継いだ背景には、そんな事実がある。また、朝義が沖縄の画家たちと1934年球陽画会を結成し、新たな波を起こすべく活動を始めたのも事実である。

それをふまえてこの絵をながめると、何故かれがこのような絵を描いたのか、その辺りがみえてくる。波は確かに大波である、しかし、朝日は明るく輝いており、時代の波を乗り越えた先に託す希望が、この朝日だったように思えてくるのである。この絵に込めた朝義の想いこそ「真実」なのだろう。

私たちが相対するのは、自ら何も語らない作品である。それを語らせるには事実を丹念に積み重ねることが必要であり、そこからしか「真実」は導きだせないのである。

主任学芸員 與那嶺一子

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