最終更新日:2017.03.29
図1 雄樋川流域の地図
図2 干潟の様子(図1のA)
図3 干潟の地表面に見られる貝殻(カキ)
図4 干潟で採集した貝殻。左2点はカキ、右2点はシレナシジミ。左端のスケールは15cm。
石灰岩台地に広く覆われた沖縄島南部には、川らしい川はありませんが、その中でも比較的規模の大きな河川として、雄樋川(ゆうひがわ)があります。雄樋川は、沖縄島南部の八重瀬町と南城市の境を流れる河川で、その河口には港川人の発見地として知られる港川遺跡があり、その1.5kmほど上流には、現在県立博物館・美術館が発掘調査を行っているサキタリ洞遺跡があります。雄樋川流域は、旧石器時代以来、人類活動の舞台となってきた歴史の長い地域なのです。
かつての雄樋川は美しい清流として知られ、流域の人々のくらしを支えてきましたが、現在では汚水やヘドロが流れ込み、往時の面影はほとんどありません。しかし、かつての雄樋川の環境を知る手がかりが、現在でもわずかながら残されています。今回はそのような雄樋川の環境史にまつわる貴重なスポットをご紹介しましょう。
図1は雄樋川流域の地図です。この地図中の、港川遺跡とサキタリ洞遺跡のちょうど中間くらいの場所(図1中のA)に、図2のような干潟があります。この場所は、干潮になると干上がりますが、満潮には水没してしまいます。干潟の地表面には、護岸工事の際に川底から掘り上げられたらしい貝殻があちこちに散らばっています(図3)。土器や石器などの人工的な遺物は見当たりませんので、これらは自然貝層に由来するものと考えられます。
シャコガイやヤコウガイなどのサンゴ礁の貝類も見られますが、多く見られるのはカキやシレナシジミ、オキシジミ、マクガイなどの干潟(マングローブ)の貝類です。中には殻長20cmに達するような非常に大型のカキも含まれています(図4)。
現在、雄樋川の河口にマングローブは見られませんので、これらの貝類は、もっと古い時代のものだということになります。そこで、貝類の年代を知るために、カキの貝殻を用いて放射性炭素年代測定を行いました。その結果は7300年前(6735 BP:PLD-27740)というものでした。7300 年前の雄樋川には、大型のカキやシレナシジミが生息する豊かなマングローブ干潟が分布していたと考えられます。
もう一ヶ所は、サキタリ洞遺跡の上流にある「ジャマシチ」と呼ばれる小堀(図1のB)です。この場所は、かつてはテナガエビ(タナガー)やフナ、ウナギなどがすむ清らかな水辺で、近隣住民の憩いの場となっていました。残念なことに、現在では淀んだ水たまりとなっていますが、水深はそれなりに深いようです(図5)。
ジャマシチの岸部には図6に示すように厚い粘土が堆積しています。この粘土層の間には砂礫層が挟まっており、図7に示すようにカワニナを主体とする自然貝層が見られます。カワニナはきれいな水でないと生息できない淡水性の巻貝で、サキタリ洞遺跡からはたくさん出土していますが、現在、ジャマシチでは見ることができません。ジャマシチ露頭のカワニナも、やはり現代のものではないと考えられます。そこで、貝層中の巻貝(カバクチカノコ)を用いて放射性炭素年代測定を実施してみました。
その結果は11世紀(955BP:PLD-24992)というもので、グスク時代開始期のものであることがわかりました。11世紀は沖縄における農耕開始期で、森林が切り払われ、大規模に田畑が造成された時代にあたります。雄樋川流域も開梱によって裸地が広がり、周囲から砂泥が谷に流れ込んできたのでしょうか。ジャマシチ岸部の厚い粘土の堆積層とそこに含まれている貝殻は、グスク時代開始期の環境の劇変を物語る貴重な手がかりになるのかも知れません。
かつては私たちの身近にあった河川も、現在では汚濁がすすみ、日常生活からは遠く隔たった存在となりつつあるようです。しかし、わずかに残された手がかりから河川の歴史を考えることは、私たちの歴史を考えることにもつながります。皆さんも河川の語る声に耳を傾けてみませんか。
主任 山崎真治