最終更新日:2016.02.23
戦後70年目の2015年10月17日に、私は東京市ヶ谷のJICA研究所にいた。第11回JICA理事長表彰の授賞式に参加するためであった。この表彰とは、当館と県平和祈念資料館がカンボジア支援の平和文化創造に関わる事業に対して評価を受けたものである。この二つの事業に関して、私はプロジェクトマネージャーとして関わってきた。
2009年から2011年までは資料館が主管したのが第1フェーズの「平和博物館」協力事業。また、2012年から2014年は第2フェーズとして「『平和文化』創造」協力事業を行った。前者がカンボジア国立トゥール・スレン虐殺博物館(TSGM)を対象にしたもので、後者はTSGMに加えカンボジア国立博物館(NMC)の両館を対象にしたものであった。
私のカンボジア通いは2009年5月から始まり、毎年の年中行事で、延べ9回渡航した。当初3カ年計画の予定であったが、資料館の最終年の事業の際、私は博物館へ異動した。異動後の2012年2月にも終了時評価者として、この事業に参加させてもらった。その際、カンボジアの幹部から第2フェーズの継続について言及があった。その時には、第1フェーズが一定の評価をいただいたものと喜んだが、TSGMだけでなく、NMCのスタッフも参加させてほしいとの要望に対しては、さらに3カ年間の研修のカリキュラムをどうすべきかと悩んだものである。伝統と実績のあるNMCスタッフが参加することになると、資料館が対応することは厳しいとの判断で、結局当館が第2フェーズを担当することになった。
この事業における私の役得は、研修員の成長を身近に感じることができたことである。1カ月間の沖縄研修に参加したスタッフは実質的には21人を数えた。1週間程度の来沖の館長、副館長職の3人を入れると24人。また第1と第2フェーズで複数回学んだ研修員を含めると、延べ人数は26人に上る。
博物館活動における目玉は対外的には、展示会活動である。私は各フェーズ終了時には展示会を企画することにした。TSGMは6年間のおつきあいがあるので、第1と第2のフェーズにおける展示会を比較することができる。前者では資料館がすべてにおいてお膳立てを行った。しかし、後者においては展示構成についての基本的な考え方を協議した以外は、パネルデザインやパネル製作をはじめ、展示の見せ方や発信の仕方、展示の見所など、私の想像をはるかに超えた仕上がりをみせてくれた。彼ら自身による自前の展示が生まれた瞬間であった。特筆したいのは、その中心になってスタッフを牽引したのが、2回の沖縄研修を受講した若い人材であった。この事業の最大の成果は、この人材を発掘、育成したことにあるといっても過言ではない。また、若き人材を自由に羽ばたかせた関係者のチームワークの力についてはいうまでもない。彼ら全てが、沖縄研修の同窓である。沖縄での学びと延べ6回の沖縄におけるカンボジアの写真展づくりを経験した仲間である。その経験は、成功体験として彼らの行動とビジョンを描くこと促した。
人材の育成は一朝一夕では無理である。少なくとも10年程度のスパンが必要ではないかと思われる。調査研究や資料収集を踏まえた展示づくり、その実践と実践の評価や改善、そしてさらなる高嶺をめざす実践は、私たち学芸員が常に意識し続けなければならないことである。
2009年7月31日にTSGM収蔵のドキュメントは、世界記憶遺産に登録された。そのためユネスコをはじめとする平和構築を考える機関が同館の支援に乗りだし、世界記憶遺産の対象とするドキュメントの保存環境の整備すなわち、収蔵庫の環境整備に力を注いでいる。また、ユネスコはこれら登録されたドキュメントの公開にも意欲的で、資料のデータベースづくりの支援も行っている。ユネスコの口添えによる米国スタンフォード大学のフーバー研究所の関わりで、デジタルアーカイブ構想もあるようで、世界が同館の対応に関心をもっており、平和意識向上を図るためのネットワークが形成されつつある。
今後は、現地において教育省とTSGMを所管する文化芸術省との連携により、移動展などのアウトリーチ活動や学校教育との連携を図り、教師らとの連携や同館の施設管理の課題が残される。これらの解消のためには、各省庁を統括する上位の政府高官の理解が求められ、カンボジア政府の高度な政治判断が求められる。
一方、NMCにおいては数年後に創立100周年を迎える。今回の事業で、記念すべき年へ向けての中長期ビジョンの策定をアクションプラン(AP)の課題とした研修員がいたが、さすがに一人で行うには荷が重すぎた。このAPでは現状の問題点の洗い出しに止まった。異常気象による雨季の雨量は想定外で、約100年になる建物の老朽化のためか、施設の維持管理は大仕事のようである。今後、カンボジアを代表する博物館として、より一層の機能強化とリーダーシップが求められる。
最後に本プロジェクトに関わったカンボジアの人材が、国内のみならず世界の「平和文化」創造に貢献する気概をもち、地道にかつ持続性をもって平和文化創造の発信拠点としての博物館づくりに努めてもらいたいとエールを送りたい。そのことは、歴史の教訓に学び、自身に対しても肝に銘じたいものとして、戦後70年目の誓いとしたいものである。
博物館班長 園原謙