1. 「大哺乳類展の苦情」

「大哺乳類展の苦情」

最終更新日:2015.10.01

「『マングースの解剖』は害獣なら何をしてもよいという誤解を子どもたちに与え、教育上よくない」  「剥製を並べることは、ハンターの行為を正当化し、動物虐待につながり、子どもたちに悪影響を与える」・・・・

いずれも、夏休みに行った大哺乳類展に対する一般の方からの匿名の苦情である。大哺乳類展(沖縄タイムス主催、沖縄県立博物館・美術館共催)は大盛況のうちに閉幕し、延べ6万4千人を超える観客を動員した。上記2つの苦情は、6万4千分の2と考えればあまり気にすることではないのかもしれないが、考え方の違いが誤解から生じているのだとしたら、少しこちらの見解を述べることも必要だろう。

大哺乳類展の関連催事として、マングースの解剖と骨格標本づくりを行った。参加者は5年生以上で、20名の定員以上の申込があった。マングースは環境省のやんばる野生生物保護センターから、駆除の罠にかかったものを提供していただいた。もし、今回の解剖教室に利用しなければ、そのまま火葬されていたものである。昨年、一昨年とオオヒキガエルを材料に、同じ実習を行ったが、こちらも外来種として石垣島で駆除されたものを利用した。マングースやオオヒキガエルはなぜ「駆除」されなければならないのか。子どもたちはおそらく、延べ20時間の実習の中でいろいろなことを考える。すべての子どもに効果があったかどうかはわからない。しかしおそらく数人の子どもまたは随伴の親たちは考えたはずだ。このマングースはなぜ駆除されたのかと。少なくとも、お手伝いに来ていたタイムス社の社員は、胸の痛みを実習後に語ってくれた。我々のうかがい知れない、想像もしないところで闇から闇へ火葬されるマングースと、目の前で屍をさらすマングースと、どちらが教育効果があるのか。もちろん教育効果は駆除について考えることだけではなく、生きものの体のしくみを体験を通じて理解することであり、こちらの意義の方が今回のコンセプトである。「解剖」=「悪」というなら、何をかいわんやである。

ヘラジカのトロフィー剥製
ヘラジカのトロフィー剥製

転じて大哺乳類展の剥製達はどうだろう。剥製の多くは国立科学博物館収蔵でヨシモトコレクションである。ヨシモトコレクションとはハワイ出身の日系二世ワトソン・T・ヨシモト氏のコレクションである。確かに初めは、財力にものをいわせた、世界中から狩猟によって得た自分のための剥製群であった。のちにヨシモト氏は剥製のもつ標本としての重要性に気付き、保存資料や教育普及目的の展示用としてその剥製を日本の国立科学博物館に寄贈する。その数約400点である(詳細は国立科学博物館HP参照)。これらの剥製群を、単に個人所有の自己満足で終わらせていたら、間近で本物にふれあえる機会は我々には与えられなかった。ましてや沖縄である。どれほどの人が一生の間に大型哺乳類に直接会えるのだろうか。大哺乳類展を“開催するため”に新たに動物をハンティングして剥製にしたのなら、批判を甘んじて受けて余りあろう。さらに、後になって改心したからといって、ヨシモト氏が自然の動物たちを自らの狩猟欲のために殺めた事実は消えないだろう。しかし、今はもう手に入らない、収蔵庫に保存されている貴重な剥製資料群を他の一般の人々が間近で目の当たりにできるとしたら、これは罪滅ぼし云々関係なく、教育効果があることは自明である。もし仮に、それを見て「自分もハンターになっていろいろな動物剥製を作りたい」と考える子どもがいたとしても、それはそれで“アリ”だとわたしは思う。今の日本はハンター不足で、害獣になってしまったシカやイノシシ、ニホンカモシカを駆除する手が足りないのである。それをもってのほかというならば、自分の家の周りをクマやサルが徘徊し、イノシシやシカが苦労して育てた作物を食い荒す状況を想像してみればよい。また、剥製製作技術者も高齢化の一途をたどり、全国の主力はみな60才以上である。技術を引き継ぐ者がほとんどいないのである。30億年前の生命誕生以来、第6回目の「大絶滅期」であるといわれる昨今、希少動物の保護と並んで、事故や寿命で死んだ動物資料の保存も博物館の大切な仕事のひとつである。

どちらが正しいということではなく、多面的なものの見方があるということを私自身も今一度考えてみたい。


 

主任学芸員 山﨑仁也

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