最終更新日:2013.07.24
済州島の村の守り神・トルハルバン
(石爺さん)
韓国最古の土器が発見された高山里遺跡の発掘現
済州島は、朝鮮半島の西南海上に浮かぶ面積1845平方キロメートルの火山島で、香川県とほぼ同じ面積です(ちなみに沖縄本島の面積は1208平方キロメートル)。島の中央には、韓国最高峰、漢拏山(ハンラサン)(標高1950m)があり、山麓には広々としたなだらかな台地が広がっています。島内各所にカルデラや溶岩洞穴などの火山地形が見られ、ユネスコの世界自然遺産にも登録されています。
済州島の歴史は古く、旧石器時代から人類が居住していた証拠が見つかっています。また、島の西端に位置する高山里遺跡では、約10000年前の韓国最古の土器が発見されています。新石器時代や鉄器時代の貝塚遺跡も見られ、人々は古くから海と関わりながら暮らしてきました。現在でも、サザエヤアワビなどを獲る海女さん(ムロ)たちが活躍しているそうです。
ところで、皆さんは「三別抄」という人々をご存じでしょうか。13世紀にモンゴル(元)のフビライの侵略を受けた高麗は、江華島に立てこもって抗戦しますが、1258年に降伏してしまいます。高麗の精鋭部隊であった三別抄は、高麗滅亡後も半島南部でモンゴル軍に抵抗します。しかし1273年、済州島缸坡頭里土城に立てこもった三別抄軍を、モンゴル軍が撃破し、ついに半島全域がモンゴルの支配下に入りました。その後、勢いに乗ったモンゴル軍は、日本にも攻め寄せることになります。これが有名な元寇(げんこう)です。
実は、1273年に滅亡した三別抄の人々が、沖縄まで落ちのびてきたのではないかという説があります。浦添市の浦添ようどれで発見された高麗瓦には、「癸酉年高麗瓦匠造」と刻まれたものがあり、この癸酉年が三別抄の滅亡した1273年をさすのではないかと言われています。遠く離れた済州島と沖縄の間にも、思いがけない交流があったのかも知れませんね。
主任 山崎真治