最終更新日:2012.05.31
写真に写っている、壁に長く垂れたこの布は、復帰40周年を記念した博物館企画展「紅型BINGATA-琉球王朝のいろとかたち」(2012.4.24~5.27)のワークショップ「みんなで紅型を染める!」で、大勢の人の手によって完成したものです。展覧会の会期の最後の一週間、展示室の入り口で、ここに至るまでの過程を写真パネルで紹介しながら作品を披露しました。
実は、この布ができあがるまでに、3年近い歳月がかかっています。スタートは2009年の沖縄県地域文化芸術振興プラン「ものづくりの知恵を学ぶ体験プログラム」のなかの「みんなで布を織る」です。参加型プログラムですが、受講者は体験のみで作品の持ち帰りはありません。みんなで糸をつくり、2010年の3月までに約10mの布を織りました。そこまでに、何と!約150名近い参加者がありました。
スタートのきっかけ
プログラムを思いついたきっかけは、博物館の民家裏の畑に繁茂する苧麻をどうにかしたいという事でした。この苧麻は、2007年の開館時に、宮古苧麻績み保存会(宮古上布の原材料である苧麻糸づくりの団体。なお「苧麻糸績み」は国の選定保存技術です。)からいただいたものです。2009年6月、試しに実習生やボランティアやスタッフの力を借りて苧麻糸づくりに挑戦してみたところ、品質は別にして…、素人でも、何とか糸が作れることが分かりました。民家の軒先で作業をしていると来観者がのぞいていきます。「糸って作れるの?」と驚く子ども達に何人も出会いました。生活がものづくりと乖離している今こそ、ものづくりの原点を伝えたいと思い立ち、文化庁の補助を受けて「みんなで布を織る」をやってみることにしました。
みんなで布を織る
成果品を持ち帰らない、また、糸づくり、機仕掛けなど、非常にマイナーな事にどれだけの人が参加してくれるのか不安だらけでしたが、蓋をあけてみたら、何と、糸づくりに県外からわざわざ参加してくれた方もいました。
機仕掛けや機織りは特に受講生を募集せず、来観者に自由に参加してもらうことにしました。機織りの用具(綜絖や筬)に一本ずつ糸を入れていき、経糸が機の上で整えられ、みんなで作った苧麻の緯糸で布が織られ始めた瞬間、参加者の歓声と拍手が沸き上がりました。 さて、布は織り上がりましたが、これの活用方法がなかなか決まりませんでした。
私たちの衣生活は洋服中心の時代です。我が国の文化でありながら、和服はもちろん琉服も遠い世界の話になりつつあります。一反の布はやはり着物(琉服)にしないといけない、そしてそれを、着物を知らない世代に見せたいと思いつきました。その前に、模様を染めないといけません。ここまできたら、「みんなで」やるしかありません。
みんなで紅型を染める
待っていたその機会は、紅型展とともにやってきました。
染める総ての工程を体験するのは大変な事なので、染める楽しさを主軸にしました。講師は琉球びんがた事業協同組合の先生方(伝統工芸士)14名です。10mの布は前もって、いくつかの模様をランダムに糊置きしてもらいました。
染める日は5月5日の子どもの日。(財)伝統的工芸品産業振興会の助成を受けて、諸準備を整え、蓋を開けたら、子ども54名、講師の先生方やスタッフ、親御さんも含めたら、参加者は約100名以上になりました。子ども達はプロの技に接しながら、嬉々として楽しんでいました。
大雨の日に行った糊落としにも約10名前後の方が手伝ってくれました。水の中から鮮やかな模様が浮かびあがる瞬間は何とも言えません。
ものづくりは今の生活から遠い存在になり、その過程の大変さが見えなくなってしまいましたが、ものづくりから学んできた知恵も楽しさも私達は失っているような気がします。子ども達には創る感性があります。大人はそれを引き出す努力をしないといけません。
このプログラムには、着物(琉服)に.するという、まだ先があります。その時は、また、たくさんのご参加をお願いします。
参加してくれた総勢200名の皆さんはもちろん、ご指導いただいた講師の皆さん、私に振り回されたスタッフに、ニヘーデービル。
主任学芸員 與那嶺一子