最終更新日:2023.09.14
前々回のコラムでは中国銅銭が琉球列島の遺跡から出土し、それらの中には質の悪い銭が多くみられるということで紹介しました。今回はどのように質が悪いのか、そしてそれらは誰が造ったのかについて触れていきたいと思います。
質の悪い銭は『鐚銭』と呼ばれており、人から人の手にわたって使いまわされた結果、銭の一部が欠けたり、摩耗して文字が薄くなったりしたものがそのように呼ばれていました。しかし、元からしっかりと形作られてなかったり、銭の原形にアレンジを加えていたりするものも鐚銭の中にあります。以下にそのいくつかを紹介していきます。
中国銅銭の中央に方形の孔、「穿」を見る事ができます。写真1ではこの穿がしっかりと方形に開けられていないものや、方形に開けているが斜めになって文字の一部が削られているもの、穿が二重に開けられ星形のような穿が見れます。これらはアレンジなのか、エラー銭であるにもかかわらず検品が行われていないまま市中へ流通したものか、はたまた何かのまじない用として造られたのか、様々な理由が考えられます。
写真1 様々な形の穿
写真2は本来の厚みよりもかなり薄造りの中国銅銭になります。これらの中には厚さ1ミリ以下のものがあり、「ス穴」と呼ばれる微細な穴があるものも見ることができます。このス穴から薄く作りすぎて鋳型に溶けた銅材が十分に行きわたらなかったことが伺えます。また、写真3のように外径が一回り小さいものも見られます。これらは銭の材料を節約し大量に銅銭を鋳ることを目的に造られたものと思われます。
写真2 薄づくりの銭と標準の厚みを持つ銭の比較 写真3 径の小さい銭
銅銭を造る際には「銭范」と呼ばれる鋳型を使って鋳造します。写真4ではこの銭范に何らかの理由で疵がつき、そのまま造ってしまったために疵の形が銭面に現れ出ているものがあります。また、銭范は表面と裏面とがあります。それらを合わせてその間に高温で溶けた銅材を流し込むのですが、写真5に見られるように表面と裏面の銭范が上手く合わさっていないまま作られたものもあります。これらは質より量を生産することに重点が置かれたため検品が疎かになり、このようなエラー銭が市中に出回ったものと思われます。
写真4 銭范の疵が付いた鐚銭 写真5 裏面の范がずれた銅銭
写真6には4枚の永楽通宝が見られますが、左上のものに比べて右上のものは文字がやや小さいですが、これは造っていく銅銭の基になる種銭から何度も繰り返しコピーして造られたことに因るものです。また、文字が上手く浮き出ていない下段の2枚も種銭から何度もコピーを繰り返したことによって、文字の摩耗が見られる、もしくは文字が欠損した種銭を銭范として造られた銅銭がそのまま市中に出回ったものと思われます。
写真6 様々な永楽通宝
北宋銭や明銭は琉球列島や日本列島各地の遺跡から出土していますが、これらの中にはそもそも中国大陸では造られていない中国銅銭があります。例えば、写真7のように洪武通宝の背面(裏面)に「治」という文字が新たに付け加えられています。これは鹿児島県の加治木というところで造られた洪武通宝であるとされています。また、写真8は赤みを帯びた中国銅銭がありますが、古銭の世界では「赤鐚」や「東北鐚」とこれらを呼んでおり、東北地方で採れる銅で造られた中国銭とされています。
写真7 加治木銭 写真8 赤鐚・東北鐚
これまで紹介して生きた鐚銭の中でも個性的と言えるのが写真9のように漢字を真似た模様が見られる銅銭になります。おそらく漢字を知らない人がそれっぽく漢字を真似て新たに造ったものと考えられます。これを造った人は種銭となる中国銅銭を入手できない環境にあるにも関わらず、銭づくりに勤しんでいたことが窺われます。古銭の世界ではこのような鐚銭を「島銭」と呼んでいます。
写真9 文字のような模様の銅銭
※本コラムに掲載している中国銅銭は全て個人蔵になります
このように様々な質の悪い銭、鐚銭が存在していましたが、これらの銭は中国大陸の各地でも造られていました。日本列島各地で造られたとされる中国銅銭とあわせて、質の悪い中国銅銭の鐚銭が15世紀から16世紀にかけて数多く市中に出回るようになっていくと、質の良い中国銅銭、精銭と鐚銭との間に交換レートが各地で出来上がっていきます。これは権力側が設定したものではなく民間人同士の取引の中で次第に交換レートが定まっていくようになります。
結局、15世紀から16世紀における貨幣流通は勝手に民間人が銭を各地で造っていることや、民間人が銭の交換レートを各地域で設定していたことを鑑みると、権力者側が貨幣流通については中々制御できていない状況であったと言えます。
倭寇についても16世紀中頃には密貿易で利益を得る商人が武装して、自らの利益のために国家の統制から外れて活動していく状況があり、これと同時期の中国銅銭における流通動向と共通する特徴が指摘できます。
ひょっとすると中国銅銭の動向は倭寇の足跡を暗に示しているのかもしれません。
主任学芸員 山本正昭