最終更新日:2023.09.08
令和5年度博物館企画展『琉球と倭寇のもの語り』の開催まで目前となっています。博物館外の広報用表示幕の設置が終わり、始まる実感が次第と沸き上がってきました(写真1)。
去る令和5年9月2日(日)の学芸員講座は当企画展のプレイベントとして実施しました(写真2)。多くの方々が本講座に参加していただきましたが、講座室の人数制限によって20名以上が参加できなかったということを、全てを終えた後で耳にしました。来館していただいたのにも関わらず、話を聞くことができなかったことは多くの方々にとても腹立たしい思いにさせたこと、そして残念な思いにさせてしまったという事実だけが残ったことから申し訳なく思ったと同時に、少しでもそれが解消されるように急遽、本コラムにて学芸員講座についての感想を筆不精ながら書きつづることにしました。
講座の様子がどのようなものであったのか、少しでもその内容をお伝えできればと思っております。
写真1 館外表示幕の設置作業 写真2 講座直前の会場内の様子
倭寇に関係した史跡について中国大陸沿岸部と沖縄本島に残る遺跡の紹介、そして両地域の史跡から比較して読み取れる倭寇対策の実態について90分という限られた時間の中で話をさせていただきました。
以下に章立てを列記します。
Ⅰ.14世紀中頃の東アジア世界
Ⅱ.中国大陸に残る倭寇の足跡
Ⅲ.琉球列島に残る倭寇に関連した遺跡
Ⅳ.まとめ‐遺跡から見て取れる倭寇の実相‐
この中で思っていたよりもⅠ、Ⅱの話に熱が入ってしまったため、必要以上に時間を割いてしまいました。そのため後半のⅢ、Ⅳが少し足早になってしまったことから、全体内容について参加者の皆さんは理解できたのか不安になってしまいました。
しかし、その不安を払拭したのは話が終わった後に多くの質疑応答を賜ったことにあります(写真3)。しかも、その質問の内容が今回の話した内容に深くかかわるものでありました。また今回、参加された方々は普段から歴史についてとても勉強されていると強く感じました。
写真3 講座の様子 写真4 質疑応答の様子
会場にて4名の方から質問を頂いたのですが、こちらも時間の制限があったことから質問者の人数を限らせていただきました。その中でもどのような武器を倭寇は使っていたのか、宮古・八重山諸島において倭寇が来島したのかといった、こちらも興味が沸くような質問や、琉球において倭寇による略奪行為があったのかといった、「倭寇」のあり方が地域によって異なることを理解していただいた上での質問を賜ったことからも、皆さん今回の話を良く聞いて理解していることに正直、驚きました。
質疑応答が終わり、講座が終了した後もたくさんの方が個別に質問や感想を述べていただきましたが、倭寇に対するイメージがどのようなものであるのかをよく知ることができました。
最も多くの参加者の方々が抱いていた倭寇のイメージとして日本人のみで構成されておらず、様々な人々で構成されていたと言うことが挙げられます。実は当時、倭寇の中には日本人の格好をして違法行為を行う人々を「偽倭」と呼び、反対に日本人の倭寇は「真倭」と呼んでいました。倭寇の中での「偽倭」と「真倭」との構成については『朝鮮王朝実録』にある「世宗実録」に見ることができます。そこには倭人は1~2割程度で朝鮮の民が倭服を着て集団で治安を乱したということが1446年の記事あります。この他にも偽倭で占める倭寇の集団が16世紀以降の文献に見られることから少なくとも15世紀中頃から16世紀の倭寇は様々な人々で構成されていたと見るのが妥当と思われます。
今回の講座で参加者の方々から話を交わした印象では、倭寇のイメージは日本人で構成される海賊行為をする人々というイメージから現在においてすでに離れていると言えるものでした。
16世紀に活動する倭寇を後期倭寇として呼んでいます。これらの倭寇の頭目として有名な人物として王直や徐海の名を挙げることができますが、彼らは中国大陸の出身でありながら、南九州の薩摩・大隅地方や北部九州の平戸、五島列島を数ある根拠地の一つとしていました。このように様々な地域と海を介して地域間を通交しながら活動していることから彼らやその周辺の人々は海域を舞台に活動している集団であり、移動しながら利益を追求していく、土地に縛られない人々であったと言えます。つまり倭寇はそのような性格を持った人々で構成されていたと言うことができます。
はたして、国籍を有していることが当たり前となっている現代人の感覚で倭寇を構成する人々の感覚を理解することができるのか。そこを更に考慮していかなければならないと共に、未だ多くの謎が倭寇には含まれていると言えます。
本コラムでは学芸員講座の内容並びにそこから派生した倭寇についての感想をまとめて見ました。近く今回の講座の動画が当館HPにて上がりますので、冒頭で触れました会場にて参加できなかった20数名の方々はもちろんのこと、諸事情により会場へ足を運ぶことができなかった方々には是非、ご覧いただきたく思います。
主任学芸員 山本正昭