皆さんはお肉が好きですか、お魚が好きですか?
先日、沖縄県内の小学生にこの質問をしたところ、ほぼ全員が「お肉が好き」という結果になりました。
海に囲まれた島々からなる沖縄は、県土の面積は小さい(2275㎢:香川県・大阪府・東京都に次いで小さい)のですが、海岸線の総延長は2037kmと北海道、長崎県、鹿児島県に次いで長い県です。この島々で、人々は古くから海と密接に関わりながらくらしてきました。
沖縄には354箇所もの貝塚があり(図1)、これは千葉県(744箇所)、茨城県(376箇所)に次ぐ堂々の全国第3位の数です。貝塚時代の人々は、現代人よりもはるかに豊かなウミサチ(海の幸)を享受していました。現代では絶滅してしまった「キルン」と呼ばれるハマグリの仲間や、泥干潟に棲むハイガイ、キバウミニナやセンニンガイを始めとして、現代ではほとんど見られない大きなヒレジャコやホラガイなども貝塚からは多く出土しています。
図1 沖縄の貝塚分布図(図をクリックすると拡大します)
貝塚時代の人々は、貝を多く食べていたと思われがちですが、実際には貝類だけでなく、獣類や魚類も活発に利用していました(図2)。貝塚から見つかる獣骨や魚骨、貝殻から、当時の人々が食べた素材別の重量比・カロリー比を推定したものが図3です。
図2 貝塚時代の食べ物
図3 出土動物遺体から推定される食生態
(カロリー比と可食部重量比:算出根拠は企画展「海とジュゴンと貝塚人」図録巻末付録2参照)
※図をクリックすると拡大します。
約7000年前の遺跡ではイノシシが圧倒的な比率を占めており、貝塚の形成が活発化する約4000年前以降でも、イノシシがかなり高い比率を占めていることがわかります。4000年前以降は、可食部重量比でおおむねイノシシが44%、貝類が36%、魚類が12%となっています( 古我地原・熱田原・地荒原・嘉門A の平均)。イノシシは肉量が多く、高カロリーで優良な食べものでしたが、毎日捕獲するわけにはいきません。一方、魚介類は、実入りは小さいけれど手近で入手しやすい生鮮食品でした。
一方、現代人はどうでしょうか。沖縄の伝統的なメニューはコメ・イモ・野菜・魚介類・ブタを柱としており、そのルーツは琉球王国時代に遡ることができます。ところが、現代の沖縄では1世帯あたりの生鮮魚介の消費量は全国最下位の約16㎏で、全国1位の青森(約35㎏)の半分以下となっています(総務省家計調査)。
図4は「生鮮肉と生鮮魚介の消費量の比率」を県別に示したものです(総務省家計調査)。最も肉類の比率が高く魚介類の比率が低いのは熊本市、最も肉類の比率が低く魚介類の比率が高いのは青森市です。両者の差は16.2%で、貝塚時代の事例で言うと古我地原貝塚と地荒原貝塚の違い程度です。現代人の食の地域差は、意外と小さいと言えるのかもしれません。ちなみに那覇市の肉:魚介の消費量比は、73.5%:26.5%で、7割以上を肉が占めており、やはり魚介の消費量が低迷していることがわかります。
図4 県別の生鮮肉と生鮮魚介の消費量の比率(総務省家計調査)
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沖縄では、伝統的に豚肉が食生活の中で重要な位置を占めてきました。かつては豚肉の消費量が全国トップクラスになったこともありましたが、現代では豚肉離れが進んでいるようです。図5は豚肉消費量を県別に示したものです(総務省家計調査)。現在那覇市の豚肉消費量は19.9kgで、全国第40位とやはり低迷していることがわかります。
図5 県別の豚肉消費量(総務省家計調査)
ウミサチ(海の幸)を活発に利用していた貝塚人に比べて、現代人にとって海の幸は遠い存在になりつつあるようです。また、ここ100年で、沖縄の伝統的な食文化も、大きな変貌をとげつつあるように見えます。図6は沖縄県の沿岸漁獲量を示したグラフですが、沿岸漁獲量は年々減少傾向にあり、持続可能な漁業のあり方が求められています。化石燃料や輸送コストをかけて島外から大量に運ばれてくる食品は、現代の沖縄のくらしにとって欠かせない存在になりつつありますが、SDGs(持続可能な開発目標)を達成するためには、地元の食材を利用した伝統食もみなおしていく必要があるでしょう。
沖縄県の沿岸漁獲量の推移
(水産庁漁港漁場整備部 2014『サンゴ礁保全活動の手引き 素案』)
主任学芸員 山崎真治
主任学芸員 山崎真治