最終更新日:2021.04.05
沖縄県立博物館・美術館には、大正から昭和初期(1920~1925年)にかけて沖縄第一中学校(現首里高等学校)で教鞭をとっていた坂口總一郎氏(和歌山県出身)の植物標本(以下、「坂口標本」)が収蔵されています。坂口氏は沖縄在住の5年間に沖縄中を旅して植物を採集し、その標本に基づき、沖縄で初の学術的な植物記録となる「沖縄植物總目録」を出版しました。坂口標本はその元となる標本と考えられ、当時採集された地域ではもう見つからないような、極めて希な植物も含まれます。坂口標本は100年の時を超え、当時の沖縄の「自然のかけら」を私たちに見せてくれる大変貴重な標本なのです。
一般に植物標本は、新聞紙に挟んで乾燥させた後、産地や採集年月日などを記載したラベルと共に台紙に貼って保管します。しかし、坂口標本は当時の新聞紙に挟まれたままで、産地や日付の情報は新聞紙に直接手書きで記載された状態です。その数なんと4万点以上にのぼり、81箱の段ボールいっぱいに詰められています。分類体系に従い、科ごと種ごとに丁寧に整理されていますが、採集地ごとには分類されておらず、肝心の沖縄の植物は、日本各地の標本の中に埋もれてしまっています。また、劣化がかなり進んでいるものもあり、このままでは近い将来、永久に閲覧できなくなってしまいます。
このような資料こそ、適切に管理し、県民の宝として次世代へ引き継ぐことが博物館の使命です。令和2年度からは一念発起し、坂口標本の整理事業を立ち上げ、沖縄の標本を抽出して台紙に貼る作業を進めています。今にも崩れそうな新聞紙をおそるおそる開き、状態を確認し、ラベルを作って台紙に貼ってゆく。とても神経のすり減る大変な作業ですが、台紙に貼られた標本はどれも見違えるほど美しく、とても100年前のものとは思えません。もし標本にしなかったら土にかえるはずだった植物の遺体が、100年の時を超えてその姿を保っている。茶色く退色していて人によってはただの「枯れ草」にしか見えないかもしれませんが、直に標本を扱っていると、坂口氏の明確な意図が伝わって来て、その貴さを実感します。そして、次の100年もその価値が保たれるよう管理することの重要性と、館としての責任の重さを改めて感じずにはいられません。
ゆくゆくは、沖縄産の標本を全て抽出して台紙に貼り、Web上で閲覧できるよう計画中です。そしていつの日か、この貴重な標本たちを展示し、坂口氏が沖縄で収集した美術工芸品や撮りためた写真などとともに、県民の皆様へ紹介できれば、と夢を膨らませています。それにはまだ、数年はかかりそうですが…。
図5 ムサシアブミ 図6 ヒメミズ(クニガミサンショウヅル)
主任学芸員 菊川 章
主任学芸員 菊川 章