最終更新日:2012.10.26
図1石英製石器の出土状況(中央)
図2自然に割れた礫(左)と人為的に打ち割られた石器(右)
▽は打撃点。石器の割れ口にはガラスのような光沢があり、自然礫に見られる割れ口とは異なっています。打撃点から放射状に力が加わって割れていることがわかります。
2010年7月から8月にかけて実施した、サキタリ洞遺跡の発掘調査では、縄文時代の遺物を含む厚さ約30㎝程のフローストーン層(石灰分が結晶化したコンクリートのような地層)の下から、ヒトの歯(右上顎乳犬歯)1点とともに石英のかけら3点が発見されました。人骨や石英と一緒に回収された木炭の放射性炭素年代測定の結果、これらの遺物は12000年前(BP)のものであることがわかりました。
一方、発見された石英のかけらが人工的な石器であるかどうかについても、詳しい分析が行われました。石英は沖縄島南部には分布しない岩石であることから、中北部の石英産地まで足を運び、石英の自然礫を収集するとともに、それらの石英礫を打ち割って実際に石器を製作し、サキタリ洞出土の石英片3点と比較検討しました。その結果、サキタリ洞の石英片には人工的に打ち割った痕跡が認められ、石器であると認定することができました。こうした研究成果を二本の論文にまとめ、日本人類学会が刊行する「Anthropological Science (Japanese Series)」と日本考古学協会が刊行する「日本考古学」という学術雑誌に投稿し、専門家による審査をへて、2012年10月晴れて公表されました。発見から公表まで、1年あまりの月日を要したことになります。
今回のサキタリ洞遺跡での発見には、2つの意義があったと考えています。一つは、1万年以上前の石器が人骨とセットで発見されたこと。当時のヒトと文化の両方を明らかにすることができる証拠がみつかったのです。同時に、長らく待望されていた沖縄の旧石器文化の解明につながる手がかりが発見されたことにもなります。もう一つの意義は、12000年前というサキタリ洞の年代が、従来沖縄で、人類に関する記録が全く知られていなかった旧石器時代と縄文時代の間のギャップ(空白期)に相当することです。サキタリ洞遺跡での発見は、このギャップをわずかながら埋めたことになります。
来る2012年11月2日は、港川人の発見者大山盛保氏の生誕100年にあたります。八重瀬町立具志頭歴史民俗資料館と沖縄県立博物館・美術館では、大山氏と港川人に関する展示会を企画しており、10月23日にオープンした八重瀬会場では、港川人3号、4号の実物を展示しています。12月7日にオープンする県博会場では、大山氏の足跡をたどるとともに、港川人研究の最前線や現在も続く発掘の様子についても紹介する予定です。また、11月3日には大山氏の生誕100年を記念するシンポジウムが八重瀬町で開催されます。沖縄の旧石器時代研究の礎を築いた大山盛保氏について、学ぶ良い機会となることを期待しています。ぜひ会場に足をお運びいただければと思います。
(ご案内)
大山盛保生誕100年記念シンポジウム
「港川人研究と2万年前の沖縄」(チラシ表/チラシ裏)
期日:2012年11月3日(土)13時~17時
場所:八重瀬町立中央公民館
主任 山崎真治