1. 特別展「琉球使節、江戸へ行く!」開催中です!

特別展「琉球使節、江戸へ行く!」開催中です!

最終更新日:2009.11.06

写真1 かわら版に描かれた楽童子(「琉人行列之図」より)(当館所蔵)

写真1 かわら版に描かれた楽童子(「琉人行列之図」より)(当館所蔵)

写真2 楽童子の図(当館所蔵)

写真2 楽童子の図(当館所蔵)

博物館特別展 薩摩の琉球侵攻400年「琉球使節、江戸へ行く!~琉球慶賀使・謝恩使一行2,000キロの旅絵巻~」も、開催から約1ヵ月を迎えました。琉球使節を描いた行列図などの展示替えもありますので、11月29日(日)まで残り1ヵ月ほどですが、ぜひとも多くの方のご来場をお待ちいたしております。 
さて、今回のコラムでは、琉球使節のなかの人気アイドル「楽童子(がくどうじ)」を紹介します。楽童子とは、琉球使節のなかの役目のひとつで、おおよそ15~18歳の琉球の少年たちがその任務に就き、特に音楽や舞踊の披露を担当していました。この役職に就く少年たちはみな士族筋から選ばれ、江戸に向けて出立する1年ほど前には任命されていました。煌びやかな衣裳やかんざしを身に着けた見目麗しい姿は、琉球使節のなかでも特に注目を浴びた存在だったようです。 
楽童子の人気振りは、各地で作成された琉球使節を特集するパンフレットや書物などからもうかがうことができます。琉球使節の行列を描いた「琉人行列之図」には、行列中の各役職についての記述が見られますが、楽童子の側には「至テ美少年ナリ」と記されています。また、楽童子は書を所望されることが多く、「舞楽図」では江戸の薩摩藩邸で書を披露する姿が描かれたり、『二川宿本陣宿帳 御休泊記録 し』(豊橋市二川宿本陣資料館蔵)の1850年の記述には、東海道の二川宿本陣を営んでいだ馬場家が往路で依頼し、復路にて楽童子の書(扇子)を受け取ったことが記されています。 
「美少年」と称され、「書」を求められた楽童子は、琉球使節のなかでも人気アイドルとしてのまなざしを受けた存在だったと言えます。 
ただ気になるのは、実際のところどうだったんでしょうか・・。現代のイケメンとはちょっと違っていたかもしれませんが、それはさておき。展示会にご来場して、琉球使節のアイドルとご対面してみてください。

主任 崎原恭子

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