(前回からの続き)
1.残念だった前島のフィールドツアー
昨年度に雨で中止になった前島のフィールドツアーでしたが、再チャレンジの機会を環境省慶良間自然保護官事務所から賜り、今年度は12月20日に同じ内容でのフィールドツアーを予定しておりました。しかし、今回も雨天により中止となってしまいました。
せっかく楽しみにしていただいた参加予定の皆様には申し訳なかったので、渡嘉敷村中央公民館にて代替えの講座を宇佐美賢学芸員と共に2時間ほど行いました(写真1)。急遽開催した講座にもかかわらず、渡嘉敷村在住の方々を中心におおよそ20名が会場に集まったことから、前島について注目している方がたくさんいらっしゃることを実感しました。
今回はこの代替え講座で話したことを含めて、前島集落跡を詳しく触れていきます。
写真1 渡嘉敷村中央公民館での講座
2.前島集落跡に残されたもの
前島集落跡には当時の家屋はすでに残っていません。それは島民が1962年に全て家屋を解体し、片づけてから島を後にしているようで、そのまま放置して家屋が朽ち果てて倒壊していくことをあまりよく思っていなかったことが窺えます。「立つ鳥跡を濁さず」とはまさにこのことを表していると言えるでしょう。
※ 過去の学芸員コラムにて集落内の様子について触れているので、前島集落跡の現状を知りたい方は以下のURLへアクセスしてください。
慶良間諸島の東にある廃村遺跡③―前島集落跡には何が残っているのか―
http://okimu.jp/museum/column/1742435127/
しかし、先祖代々の遺骨が収められている墓は、さすがに島から移動することは難しかったようで、そのまま現地に残されました。集落跡の北側海岸線付近は岩場となっていることから(写真2)、それらを巧みに利用して数多くの墓を前島集落の人々は造っています。現在は「印良苅原古墓群」として今に見ることができます。
写真2 集落跡北側海岸線沿いの岩場
3.前島集落跡の祖先が眠る場所
印良苅原古墓群の多くは石積みをほとんど用いておらず、砂岩を削り込んで造っています(写真3)。

写真3 印良苅原古墓群
この場所にある砂岩をよく見ると上部は赤味がかった色で下部が灰色となっているのが見て取れます(写真4)。

写真4 印良苅原古墓群周辺の砂岩
これは上部の風化が進んで変色しているためで、上面から次第に海風により削り取られていきます。これらの墓は風化が進んで脆くなった砂岩を削り込んでおり、岩盤の下方は風化が進んでおらず硬くて削れなかったことから、少し高い場所に位置しています。
すでに墓口が開かれ、何も残されていない空墓もいくつか見ることができます(写真5)。これらの墓は放置され、大量の土砂が墓庭に流れ込んできていることから、いずれはそのまま埋没してしまうものと思われます。

写真5 空墓
この印良苅原古墓群とは少し南に距離をおいて1基だけ、石積みを持った古墓を見ることができます。立派な切り石で立ち上げられた石積みで囲われており、天井を持たない墓です。現在の船着き場から集落跡側へ歩くとすぐに見えてきます(写真6)。

写真6 村墓(ムランジュ)
この墓は「村墓(ムランジュ)」と呼ばれ、前島集落跡における最初の共同墓地であったとされ、墓室内の納骨スペースが無くなってきたことから、その北側にて各家で墓を造られるようになったとされています。
また、村墓より南側にアカタチジャンと呼ばれる岩塊があり(写真7)、このあたりをボーヌクビーと呼んでいました。この場所から北側に墓が集中し、反対に南側は居住域が広がっていることから、ボーヌクビーは集落におけるこの世とあの世の境を示していると考えられます。

写真7 アカタチジャン
4.古墓群周辺の史跡
島の更に北側には
スルジヌハマ、トーエイハマといった南北に続く砂浜が続いています。トーエイハマは漢字表記では「唐栄浜」とするようで、かつて中国大陸から来航した交易船が立ち寄り、この浜で交易品の取引を行っていたという伝承がその名の由来となっています(写真8)。南北方向に海岸線沿いに200mほど広がる砂浜であることから、大型船から多くの品々がこの浜へ荷下ろしされたことが想像されます。なお、この浜周辺を過去に散策したことがありますが、残念ながら交易を示すような遺物等を確認することができませんでした。
写真8 洋上から見たトーエイハマ
トーエイハマの南にスルジヌハマそして、更に南にはタカエーヌハマと呼ばれる小さな砂浜が位置しています。このタカエーヌハマの南西側の山中は「ヒサチ」と呼ばれる高台があり、そこにはニスヌウタキ、ハンガーウタキ、アミガーウタキと呼ばれる3つ拝所があります。現在はほとんど訪れる人がいない場所になっていますが、これら拝所があるヒサチは現在見ることができる前島集落跡より以前の集落跡であるという言い伝えが残っています(写真9)。
写真9 各所の位置関係
ヒサチ一帯は現在、畑跡が広がっており、集落であったことを示す痕跡はほとんど留めていません。しかし、かつての居住地であったことを偲ばせる言い伝えが残っています。
(次回へ続く)
主任学芸員 山本正昭