1. 【国際博物館の日2025】ウィラード・A・ハンナと戦後沖縄の復興(1)-10年後の沖縄-

【国際博物館の日2025】ウィラード・A・ハンナと戦後沖縄の復興(1)-10年後の沖縄-

最終更新日:2025.05.12

 ウィラード・ハンナは、中国や東南アジアの事情に通じた英語教師・歴史家・作家で、1942 年から1946 年までアメリカ海軍に在籍、少佐として沖縄戦にも従軍しました。1945~1946 年には海軍軍政府の教育文化部長を務め、政治部長ジェームス・T・ワトキンスと共に「沖縄陳列館(Okinawan Exhibit)」の設立に尽力しました。

沖縄陳列館(Okinawan Exhibit)(1945~1946) 
写真1 沖縄陳列館(Okinawan Exhibit)(1945~1946)

 戦中・戦後の混乱期において、うるま市東恩納の民家を改装して開設されたこの施設は、主に米軍関係者に沖縄文化を紹介・普及する役割を果たし、東恩納博物館(1946~1953)や首里博物館(1946~1955)、琉球政府立博物館(1955~1972)、沖縄県立博物館(1972~2006)のルーツにもなりました。その収蔵品は現在の沖縄県立博物館・美術館に引き継がれています。

首里博物館(1946~1955) 
写真2 首里博物館(1946~1955)

琉球政府立博物館(1955~1972) 
写真3 琉球政府立博物館(1955~1972)

沖縄県立博物館(1972~2006) 
写真4 沖縄県立博物館(1972~2006)

 ハンナは、大嶺薫(後の東恩納博物館館長)と共に、まだ砲弾の飛び交う中で首里城の丘陵の洞窟から貴重な文化財を収集し、「旧首里城正殿鐘(万国津梁の鐘)」や旧円覚寺楼鐘といった現在重要文化財に指定されている銅鐘も彼らの活動によって保護されました。
 1946 年春に沖縄を離れたハンナは、10 年後の1955 年に沖縄を再訪し、その変化を回想録「Okinawa: Ten years later」(※註1)に記しています。そこでは、かつて米兵の間で「Rock(監獄)」と揶揄された沖縄が、教育・衛生・交通・生活全般において大きく改善し、衣食住が戦前・戦中よりも豊かになったことを高く評価しています。また、米軍司令部のあったライカム付近(現 北中城村から沖縄市にかけての一帯)の「奇跡のマイル(miracle mile)」と呼ばれた繁華街の活況にも触れ、マンハッタンやラスベガス、ハバナに匹敵するほどの喧噪を描写しています。

回想録「OKINAWA: TEN YEARS LATER」 
図1 回想録「OKINAWA: TEN YEARS LATER」(部分)(※註1)とハンナのサイン

 1946 年に沖縄を去った後、ハンナは再訪することをためらっており、その間に沖縄の貧困と悲惨な生活に関する記事を頻繁に目にしたと記しています。しかし、1955 年にハンナが目にしたのは、そうした記事とは大きく異なる沖縄の姿でした。

(※註1)ワトキンス文書刊行委員会 編1994『沖縄戦後初期占領資料』46 緑林堂書店 所収「Okinawa: Ten years later」(部分)とハンナのサイン

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博物館班

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