最終更新日:2024.09.10
(前回からの続き)
沖縄県立博物館・美術館主催7月文化講座では立命館大学の岡寺良先生から「九州の中世城郭」と題してお話を賜りました。九州各地においてそれぞれの地域に合わせて城郭の様子が異なってくるという内容でありましたが、その中でも石積みを用いた大分県の長岩城跡に残っている石積みについて興味深い話がありましたので、今回はそれを基にして話を広げていきたいと思います。
長岩城跡は大分県中津市にある名勝、耶馬渓の更に山奥にある標高530mの山頂に立地しています。峻険な地形を利用した天然の要害を活かした縄張りとなっており、一見の価値があります。この長岩城跡の主郭部分から少し麓に下った場所に石垣が確認されています(図1赤〇部分)。
図1 長岩城跡の縄張り図(岡寺良氏作成)
この石垣は城内と城外共に面をもっており、斜面に沿って登るように延びています(写真1)。岡寺良先生の話では1588年に羽柴秀吉による九州征討でその配下の武将である黒田長政が長岩城主である野仲鎮兼を攻めた際に、築いた石積みであるとしています。この石垣の役割としては、城の中心部へ侵入を阻む目的で斜面沿いに攻城側の兵を移動させないために築いた防壁としての石垣であり、斜面に沿う塁線状の石垣となっています。
写真1 長岩城跡の石積み(岡寺良氏撮影)
この長岩城跡に残る石積みは極めて特殊であると言えます。というのは、日本の織豊系城郭や近世城郭に見る石垣は平場の周辺を取り囲むように築かれているのが大半です(写真2)。石垣は平場にある城主の居住施設や城主が政務を行う施設を防御するための障壁であることが基本形となっています(写真3)。そのため、長岩城に見る石積みは平場ではなく斜面に対して築かれていることから、織豊系城郭や近世城郭の石垣とはその用途が異なるとともに、九州北東部にのみ見ることができる城郭石垣の特徴であると言えます。
写真2 江戸期の大分城平面図(大分城案内板より)
写真3 水口城ジオラマ模型(水口城資料館所蔵)
また、両者の大きな違いは織豊系城郭や近世城郭では土留めの石垣が多くみられることから城内側に石垣を高く積み上げない(写真4)のに対して、長岩城跡では城外、城内側ともに石垣を高く積み上げている点にあります。
写真4 土留め状の石垣(丸亀城)
それでは沖縄本島に見るグスクではどのような石積みが見られるのか。平場と石積みとの関係で注目していくと、斜面に対して築かれている石積み(写真5)と平場を囲う石積み(写真6)とが混在しているのを見ることができます。
写真5 斜面を登る石積み(糸数グスク)
写真6 平場を囲う石積み(座喜味グスク)
勝連グスクや首里城、今帰仁グスク、玉城グスク、上里グスクといった中規模、大規模なグスクでは両者が混在しているのを見ることができます。とくにグスクの外縁部に当たる石積みは斜面に対して築かれている石積みを多く観察できます。また、小規模なグスクでは平場を囲う石積みで全体が構成されています。但し、それらをよく見ると城内側もある程度の高さまで石積みを積み上げているのを確認することができます(写真7)。
写真7 船越グスクの石積み(外面)
船越グスクの石積み(内面)
これらのことからある程度規模の大きくなったグスクでは、それぞれの場所の役割に合わせて、石積みの形を変えているのを見て取ることができます。
次回へ続く
(主任学芸員 山本 正昭)
国立歴史民俗博物館の村木二郎氏による講演が10月9日(水)に当館の講座室にて行われます。
14世紀以降に琉球列島が各地域において様相が大きく異なっていることはすでに知られていますが、今回は宮古・八重山諸島を中心にして考古学の成果から詳しく、かつ分かりやすく紐解いていく内容となっています。詳細につきましては下に記しておりますのでご興味ある方はふるってご参加ください。
主催は沖縄県立博物館友の会で、沖縄県立博物館・美術館は共催機関となっており、詳細は以下の通りになります。
講演テーマ「中世の八重山・宮古と東アジアの海」
講演者 村木二郎(国立歴史民俗博物館准教授)
日時 令和6(2024)年10月9日(水)午後2時~4時
参加費 500円(資料代)
主任学芸員 山本正昭