最終更新日:2024.08.05
(前回からの続き)
いよいよ3日後に迫ってきました沖縄県立博物館・美術館主催9月学芸員講座ですが、その準備に向けて資料の読み直しや近年の研究動向について調べてまとめているところです。
その中で気になったのが、過去に取り上げた段築状の石積みについて気になる点があったので、ここで少し紹介していきたいと思います。
世界遺産に登録されているグスクを訪れると、高さ10m前後のそそり立つような石積みを見ることができます(写真1)。このような石積みはいきなり出来上がっていったのではなく、当然ながら紆余曲折を経て、高く築かれていくようになりました。
写真1 高く積まれた首里城の石積み
当初は自然石を積み上げた野面積みは最高でも2.5m前後であったのが(写真2)、石材を加工する技術が向上したことによって、高さ2.5mをはるかに凌ぐ高い石積みを積み上げることができました。高く積み上げていく大きな理由としては争いが多発し、かつその規模が大きくなっていったことが挙げられます。争いによって自己の財産や生命を守るために編み出された知恵として石積みを高層化していくことに当時の人々は活路を見出していくことになります。しかし、そこへ至るまでには大変な苦労があり、その痕跡を各地に残るグスクの石積みに見ることができます。
写真2 中頭具志川グスクに見られる野面積みの石積み
自然石や粗割石を積み上げた野面積みには積み上げていく高さに限界があることから、どうしても防ぐことに対する限界が出てきてしまいます。それを補うためか、野面積みの石積みを築いて、その上部に少しスペースをつくってからさらに野面積みの石積みを築いて、城壁として防御を固くするといった工夫を施すようになります(写真3)。
写真3 糸満具志川グスクに見られる段築の石積み
このような段築状の石積みは城壁外面にスペースがあることから、攻め登る側にとっては足場となる危険性があります。しかし、そのような弱点があっても石積みを高くするほうが、守る側には利点があったものと考えることができます(写真4)。
写真4 与論グスクに見られる段築の石積み
グスクの石積みでは他に崩れを防止するために低い石積みを補うといったものを見ることができます。事例は少ないですが、今帰仁グスクの石積みには外側へ飛び出た石積みの下に高さ1~1.5mの低い石積みが取り付いているのを見ることができます(写真5)。
本体となる石積みは古期石灰岩を粗割りして高さ5m以上積み上げた石積みであることからか、おそらく外面への崩壊を防ぐための工夫であると考えられます。更に石積みが突出した部分はとくに重圧がかかることから、より高く積み上げられているのを確認できます。
このように決して数は多くありませんが、石積みを高く築く、さらには石積みを維持するための創意工夫をグスクの石積みに見ることができます。
写真5 石積み下部に取り付く補助的な石積み(今帰仁グスク)
実はこれまでに触れてきた石積みと同じような石垣を日本列島の織豊系城郭や近世城郭の石垣にも見ることができます。まず、石垣の高くするために段築状に築いていくことは16世紀末ごろの織豊系城郭に見ることができます(写真6)。これは石垣を築いていく技術の過渡期であったことから、高い石垣を実現するために施された工夫であると言えます。
写真6 姫路城に見る段築の石垣
その後の近世城郭でも山口県の萩城をはじめとしていくつかの事例を見ることができます(写真7)。これは各地域での石垣を築く技術者の問題や築く場所の問題、更には確保できる石材の問題など複雑な原因により、段築状の石垣が築かれたものと思われます。
写真7 萩城に見る段築城の石垣
また、段築状に築かれているように見える石垣で、崩壊を防ぐための「ハバキ石垣」という技術があります。それは石垣崩壊直前のハラミ(写真8)を抑えるために、孕んだ部分を覆うように新たに築く低い石垣です。孕んだ石垣の面の部分に新たな石垣を付け加えることで、外側へ飛び出して崩壊するのを防ぐ工夫になります(写真9)。
写真8 孕みが生じている石垣(久留米城)
写真9 岸和田城に見るハバキ石垣
主任学芸員 山本正昭