1. 必見!グスクの石積み②

必見!グスクの石積み②

最終更新日:2024.07.20

  グスクにおける石積みの導入は日本列島と比べて150年以上早く、その技術は14世紀後半の東アジアにおいても目を見張るものであったと言えます。16世紀後半に至ると近畿地方ではようやく城郭に石垣を使いはじめ、一気に石垣を持った城郭が全国的に築かれていくことになります。今回は日本列島の城郭に見る石垣を主に取り上げたいと思います。

1.グスクの終焉と石造りの城

 グスクは15世紀半ば以降、新たに築かれることは無くなりました。16世紀に入ると屋良座森グスクが新たに那覇湊に築かれますが、その姿は岩礁を埋め立てて築いた砲台場としての機能に特化したものでした(写真1)。

写真1 戦前の屋良座森グスク(那覇市歴史博物館提供)

 琉球列島ではグスクが築かれなくなってから日本列島ではようやく城郭に石垣が導入されていきます。その始まりと言える城郭は織田信長が築いた安土城になります。
 安土城は1576年に織田信長が天下布武の過程で築城した城郭であることは広く知られています。この場所を訪れてみると麓の屋敷群から本丸に至るまで石垣があちこちにあるのが確認できます(写真2)。そこからかなり多くの石工職人を動員して石垣が構築されたことが簡単に想像できます。元々、安土城周辺には石積み構築を専門とする人々が寺社の石積みを構築または修復しており、そこに目を付けた織田信長が自らの居城において石垣を導入するため、それらの人々を積極的に動員したという経緯が見て取れます(写真3)。

写真2 安土城黒鉄門の石垣

写真3 寺院に見られる石垣(滋賀県草津市 芦浦観音寺)
 

2.短期間に姿を変えた日本列島の城郭

 この石工集団を一般的に「穴太衆」と呼んでいますが、実際にそのようなに呼ばれた集団が戦国時代に存在していたのか、実のところはよく分かっていません。少なくとも安土城の石垣を構築したことが切っ掛けとなり、日本列島におけるその後の城郭の姿は大きく変化することになります。安土城で培われた石垣の技術は豊臣秀吉が築いた大坂城や姫路城(写真4)、徳川家康の居城となる江戸城(写真5)の石垣へと引き継がれていき、発展していきました。

写真4 姫路城に見る羽柴時代の石垣

写真5 江戸城の富士見櫓と石垣

 17世紀以降は石垣を伴う城郭が日本列島各地に展開していくことになります。名古屋城や彦根城、松江城といった石垣が見られる著名な城郭は近世城郭と呼ばれ、この頃に築城または大きく改修されたものになります(写真6,7)。
土づくりを主とする中世城郭から石垣が安土城に導入されて以来、50年ほどで日本の城郭の姿は大きく変化したと言えます。

写真6 名古屋城天守閣と天守台の石垣

写真7 彦根城天守閣と天守台の石垣 

3.安土城以前の城郭石垣

 実は安土城が築かれる以前に石垣を取り入れた城郭は存在していました。大分県の長岩城や大阪府にある芥川山城と飯盛山城、長野県の山家城、埼玉県の小倉山城などの城郭に石垣が導入されています。それらの中には高さが4mほど立ち上げているのを見ることができます(写真8)。

写真8 小倉山城の石垣

 しかし、安土城と決定的に異なるのは城郭の中でも一部分にしか採用されていないこと、そして17世紀以降の城づくりにおいてそれらの技術が引き継がれていないといった点にあります。
具体的に技術的な側面を挙げると、安土城や近世城郭では石垣のコーナー部分は稜を持った算木積みと呼ばれる、切石の短辺と長編を交互に積み上げているのを観察することができます(写真9)。

写真9 高松城天守台石垣に見る算木積み

 一方で安土城築城以前の城郭石垣についてはそれぞれの地域で確保できる石材を用いて、独自の技術で石垣を築いているのが見て取れます。例えば小倉山城の石垣においてコーナー部分は丸みを持っており(写真10)、また、テーブル状に薄く割れる緑泥石片岩を階段状に勾配をもたせて重ねるように積み上げていく技法となっています(写真11)。このように16世紀中頃の日本列島において、数は少ないですがその地域に限られた石積みの技術が各地の城郭で採用されています。

写真10 上方から見る小倉山城の石垣コーナー部分

写真11 小倉山城の階段状に勾配を持った石垣

4.改めてグスクの石積み技術を問う

 近世城郭の始まりとも言える安土城や大坂城は総じて織豊期城郭と呼ばれており、そこに見られる石垣はその後の日本列島の城郭の発展を決定づけたことはこれまで触れてきました。これらの城郭は本丸や二の丸といった中枢部分は石垣がほぼ全面に固められていることから総石垣の城であると言えます(写真12)。

写真12 本丸を固める石垣(岸和田城)

 ここで改めて首里城や中城グスク、座喜味グスク、今帰仁グスクなどを見てみるとその外郭部分も含めて石積みで囲い込んでいることを観察することができます(写真13)。このような石積み囲いのグスクは織豊期城郭に見る総石垣の城郭と類似していると言え、共に石垣、石積みで堅く守られた城郭であるという点では共通していると言えます。

写真11 石積みで防御を固める座喜味グスクのジオラマ模型(当館所蔵)

 単純に石積みを部分的に採用していると言うことではなく、全面的に石積みを使っている城郭が沖縄本島において日本列島より150年以上も先行していたことは驚くべきことではないでしょうか。
                

次回へ続く
                                             (主任学芸員 山本 正昭)

主任学芸員 山本正昭

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