1. 倭寇について考える④―なぜ倭寇は脅威だったのか―

倭寇について考える④―なぜ倭寇は脅威だったのか―

最終更新日:2023.08.28

1.皆が恐怖した倭寇の存在

 倭寇については着物を着て、頭髪を剃り、主に刀を手にした姿としてイメージされています。これは『倭寇図巻』という絵画史料に描かれた倭寇の姿がそのイメージとして定着されているものと思われますが、以前のコラムでも書いたように後期倭寇の構成員については日本人の2割程度であったとされていることから、倭寇については日本人というよりも日本人の格好をした人々として当時は認識されていました(写真1)。
 今回は中国大陸において倭寇がどのように脅威であったのか、当時使われていた武器を中心にして見ていきたいと思います。

写真1 戚継光記念館に展示されている倭寇像
写真1 戚継光記念館に展示されている倭寇像
 

2.倭寇が使った武器とは

 冒頭で触れた絵画資料の『倭寇図巻』には槍や刀を持った倭寇の姿が描かれています。長槍は船上から攻撃する際に用いており、刀は集落から物品を掠奪の際に用いているのを確認できます。他にはL字状の長柄武器や弓矢を見ることができますが、とくに刀は機動性に富み、切れ味も良かったことからか倭寇が好んだ武器として当時の史料には頻繁に記されています。
 刀が倭寇にとって主要な武器となっていたのはすでに東アジアでは日本刀が15世紀から16世紀にかけて広範囲に普及していたことが、倭寇が刀を入手できる環境下にあったことを暗に示しています。それは日本から明朝へ輸出された主な品に日本刀があり、琉球王国も明皇帝へ日本刀を献上していたことが『歴代宝案』から窺うことがきます。
 明朝も建国当初から日本刀が武器として有効であることを理解しており、14世紀後半には自国産の刀「倭刀」を開発して、後に長刀、腰刀、短刀と3種類の倭刀を軍器局が生産しています。
 

3.倭寇の強さとは

 16世紀半ばに倭寇討伐で功績を上げた明朝の軍士、戚継光(写真2)は倭寇が持っていた『影流之目録』という剣術書を入手し、これを基に日本の剣術を研究していくことになります。そして、その研究成果を倭寇討伐へと活用していくことになり、2枚の盾を正面にした2列縦隊で当たる「鴛鴦陣」(写真3)や隊長、長牌手、藤牌手の3名を正面に、その左右に狼筅手、長槍手が横方向に展開して当たる「三才陣」といった戦術を新たに編み出していくことになります。
 これらの戦術は倭寇に対して大きなダメージを与えていくことになるのですが、それは『影流之目録』という剣術書を入手できたことにより相手の戦闘方法が理解できたことで、その対抗策を立てることができたと言えます。そして、倭寇は闇雲に刀を振るっていたわけではなく、刀の使用方法を熟知していたことをそこから読み取ることができます。
 


写真2 戚継光像
写真2 戚継光像

写真3 『籌海圖編』に描かれた鴛鴦陣                           
写真3 『籌海圖編』に描かれた鴛鴦陣
 

4.新たに発明され、使われていく武器

 倭寇討伐を行っていく中で新たな武器が16世紀中頃に多用されていきます(写真4)。「狼筅」とよばれる枝葉を付けた青竹に穂先をつけた長槍や穂先が三日月状となる「天蓬鏟」、火薬で槍先を飛ばす「梨花槍」のほか、火器兵器としては火縄銃や「飛天噴筒」と呼ばれる火砲、ハンドキャノンとして使用される三眼銃(写真5)といったように例を挙げるときりがありません。
 中でもヨーロッパから16世紀前半に中国大陸へ伝わった「佛狼機砲」(写真6)は、主砲と弾倉である子砲で構成されていることから、いくつもの子砲の火薬と玉を仕込んでおけば、発射後から次射までは時間がかからないというアドバンテージがあります。
 このことから連続して発射することが可能になったことで戦闘を有利に進めていくことができることから、佛狼機砲は瞬く間に中国大陸において普及していくことになります。また、『抗倭図巻』には倭寇が乗船する舟に佛狼機砲が搭載されているのが描かれていることから、当時としては最新鋭の大砲が軍、民関係なく入手していたことが分かります。

狼箭 天蓬鏟 梨花槍 飛天噴筒
 狼箭            天蓬鏟         梨花槍         飛天噴筒
写真4 『籌海圖編』に描かれた武器

写真5 当館所蔵の三眼銃
写真5 当館所蔵の三眼銃


写真6 『籌海圖編』に描かれた佛狼機砲
写真6 『籌海圖編』に描かれた佛狼機砲
 

 

5.意外に残らない武器

 令和5年度博物館企画展『海を越える人々(前期)琉球と倭寇のもの語り』では倭寇が使った武器についても展示していきたいと思っていましたが、意外にそれらは残っていないことが分かりました。それもそのはず、明朝は武器を禁輸品としており、その入手を厳しく制限していました。また、刀や槍は刃物であることから、武器としての使用頻度が少なくなると鋳溶かされて別の製品へと姿を変えていくこともあります。
 これらのことから倭寇が使った武器については『倭寇図巻』や『抗倭図巻』といった絵画史料でしか、その詳細を知ることができません。
 今回の企画展では倭寇が実際に使った武器の展示は叶いませんでしたが『倭寇図巻(複製品)』を展示しますので、武器をふるう倭寇の姿に着目していただければと思います。

  

主任学芸員 山本正昭

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