1. 尚巴志王即位600年記念シンポジウム忘備録➀ ~尚巴志の実像にどこまで迫れるか~

尚巴志王即位600年記念シンポジウム忘備録➀ ~尚巴志の実像にどこまで迫れるか~

最終更新日:2022.08.22

1.尚巴志という人物を知っていますか?

シンポジウムチラシ
 

 琉球の歴史では数多の著名人がいますが、その中でも英雄として後世に評価されている人物となると限られてきます。その中で最も英雄視されている人物として尚巴志の名を挙げることができます。
 ここで尚巴志の偉業を簡単に述べると、現在の南城市佐敷周辺を根拠地にしていた小領主から中山王に上り詰め、1417年には山北を、1429年には山南を滅ぼし、沖縄本島で統一王権を成立させた人物であると言えます。第一尚氏王統の第2代目王として1422年に即位して1439年に逝去するまでの約16年間、国王として琉球を統治していました。
 山北の攻略時に甘言を用いて山北側の重臣を裏切らせたり、山南を滅ぼす際には井泉と金屏風を交換するといった内部工作を行う策略家というイメージを尚巴志は持っていますが、これらは全て後世の文献で記されたものであり、真偽のほどは確かめようもありません。よって、実際の人物像については厚いベールに包まれています。
 そこで別の切り口から尚巴志を見ていくために考古学からの視点で尚巴志を顕彰していくことを目的に令和4年7月31日、おきみゅーにてシンポジウム「遺跡から尚巴志の生きた時代を考える」と題した文化講座を開催することになりました。
(写真1:シンポジウムチラシ)

2.遺跡から尚巴志は分かるのか

シンポジウムの様子

 遺跡から出土する遺物や遺構は文献史料と異なり、第3者の解釈が入らない生情報を提供してくれます。しかし、それらをどのように検証していくのかによって大きくその捉え方が異なってきます。
 考古学はモノを中心にその歴史的背景を読み取っていくことを得意としていますが、人物像の特定は不得意とするところです。よって考古学からは尚巴志という人物像そのものを明らかにすることは困難ではあるものの、遺跡から尚巴志が生きた時代についてその背景を考えていくことを軸にして考えていくことができると思い、このタイトルにあるシンポジウムを行うことにしました。つまり、人物像の核心に迫るのではなく、その周辺から明らかにしていくという、外堀から埋めていく視点で尚巴志を見ていく。このことを通して、これまでとは違った視点を提起できるとの考えを及ばせました。
 そこで、尚巴志が中山王としての根拠地とした首里城、尚巴志によって攻め落とされた島添大里グスクと今帰仁グスクについて、14世紀後半から15世紀前半までの発掘調査で明らかになった成果についての3本を報告するという形となりました。
(写真2:シンポジウムの様子)

 

3.発掘調査成果からの読み解き


シンポジウムの様子

 報告者は島添大里グスクを南城市教育委員会の山里昌次さん、今帰仁グスクを沖縄国際大学総合文化学部の宮城弘樹さん、そして首里城跡を筆者と、各40分の持ち時間で各遺跡の発掘調査成果とその評価を行いました。
 山里さんは島添大里グスクの発掘調査を担当された専門員で、宮城さんも今帰仁グスクの発掘調査をかつて担当したこともあり、その調査成果について余すところなく披露していただきました。加えて、筆者は首里城については正殿地区とその周辺の発掘調査成果についての紹介とその考察を披歴させていただきました。
 何れの遺跡も尚巴志によって攻略されたグスクであり、それらは全て尚巴志が生きていた時期にその中枢部が改変されていることが共通点として挙がってきました。
 このように尚巴志によって攻略される前後に何が起こったのかを発掘調査の成果からある程度、明らかにできることが分かってきました。後半となる第2部の討論では更に深く掘り下げた議論へと展開していきます。(その2へ続きます)
(写真3:シンポジウムの様子)


 

 

主任学芸員 山本正昭

シェアしてみゅー

TOP