エントランスミニ展示『稲村賢敷が追いかけた倭寇の姿』は7月19日(日)をもって無事に閉幕することができました。開催期間中は新型コロナウィルスの影響もあって、おきみゅーへ来館がなかなか叶わなかった方々もたくさんいらっしゃったかと思います。そのことを鑑みて、今回は新たな展示コンテンツとして、当展示会の解説動画配信を閉幕後も行っております。当展を観覧できなかった方はぜひご覧ください。
今回の展示では稲村賢敷の関係者にもご観覧いただく機会に恵まれ、かつての人となりを新たに知ることができました。更にこの展示会をご覧になった方から稲村賢敷の最初の著作である『宮古の史蹟めぐり』(1950年刊行)の原本をはじめ(写真1)、関連資料を所蔵されているという連絡がありました。その後、所蔵されているご本人に面会することができ、原本を実見することができました。更に所蔵者の方から、おきみゅーに3点の稲村賢敷関係資料を寄贈していただくことになりました。3点とは写真2の『郷土研究 第4号』(1950年刊行)と写真3の『久松巨石墓発掘記録』(刊行年不詳)と『宮古の史蹟めぐり』で、何れも貴重な原本資料になります。
3冊共に挿絵が入っており、おそらく稲村賢敷自身が描いたものと思われます。要点を押さえた絵であり、絵心に加えて鋭い観察眼がこの挿絵から窺うことができます(写真4)。また、『久松巨石墓発掘記録』においては採集された遺物の図(写真5)や遺構平面図も見ることができることから実証的に久松みゃーかの性格を探ろうとしていたことが分かります。また、『宮古の史蹟めぐり』では宮古諸島にある53カ所もの史跡について解説文があり、かなり精力的に史跡を訪ね歩き、調べ上げていたことが解ります。また、「はしがき」には学校関係者等の旅行や遠足の際に供するために作成したとあり、研究だけではなく教育者としての視点でまとめられたことも窺えます。このように3冊共にガリ版刷りの手作り感の強い本でありますが、稲村賢敷の人柄が滲み出てくる著作であると感じ取ることができます。
上記の3点を寄贈いただいた方は、父親が戦後まもなく宮古中学校の教員をされていたようで、その当時の校長は稲村賢敷先生だったことが年譜から明らかになりました。おそらく、当時の宮古中学校の先生たちにご自身の著書を配布されたものと推測されます。このようなことから、宮古島での郷土史研究の普及に努めていた稲村賢敷の姿も浮かび上がってきます。
展示終了後の撤収作業は一抹の寂しさを抱えながらの作業となります(写真6)。しかし、この展示会を通して多くの関係者と繋がることができ、そこから得られた知見によって稲村賢敷の人物像がかなり明らかになりました。展示は資料を公開するだけではなく、新たな情報をもたらし、そして更なる課題が見えてくることにも大きな意味があります。このように次へ展開していくヒントを頂けることが、企画展示における最大のメリットかもしれません。
写真1 宮古島史蹟めぐり
写真2 郷土研究 第4号
写真3 久松巨石墓発掘記録
写真4 宮古島史蹟めぐり所収 前の屋御嶽挿絵
写真5 久松巨石墓発掘記録にある土器挿絵
写真6 展示撤収風景
主任学芸員 山本正昭