皆さんは稲村賢敷(いなむらけんぷ)という研究者をご存じでしょうか。知っている方はほとんどいらっしゃらないかと思いますが、もし知っている方がおられたら、中々の琉球史通だと言えるでしょう。簡単に紹介すると稲村賢敷は宮古島出身の郷土史家で、戦後から本土復帰前後にかけて活躍した研究者になります(写真1)。
稲村の研究は当初、宮古島を主な調査の対象としていましたが、倭寇に目を向けたことにより、海域アジア全体を通して14世紀から15世紀の動向について考察を深めていくことになります。その成果は1957(昭和32)年に刊行された『琉球諸島における倭寇史跡の研究』にまとめられており、その内容については琉球列島における倭寇の実態解明と中世海域アジアの歴史を考えていく上で重要な問題提起を行っています。14世紀から15世紀における宮古、八重山の動きや海域アジアの交易について、倭寇の実態について、そして、それらがどのような歴史的意義を持っていたのか等、歴史学、考古学、民俗学、琉球文学と様々な資史料を用いて検証し、独創的な見解を見出しています。とりわけ宮古諸島、八重山諸島、久米島において精力的にフィールドワークを行い、そこから得た情報を重視して考察を行っている点は今日においても注目に値します。
1978年に稲村賢敷は83歳でその生涯を閉じることになりますが、以降は氏の研究が独創的であったがゆえに、倭寇研究の中で引用されていくことはほとんどありませんでした。
稲村賢敷が生誕して125年が経過した昨年、宮古島市総合博物館において生誕記念の展示会が実施されました(写真2)。この展示会で再び稲村の研究、調査にスポットが当てられることになりました。おきみゅーでも宮古島市教育委員会の全面協力の下、エントランスにおいて6月9日(火)から28日(日)まで、ミニ展示会を実施いたします。稲村賢敷が調査を行った宮古島、八重山諸島、久米島の遺跡を中心に紹介すると共に、これらの遺跡から表採された中国産陶磁器など、おきみゅーが所蔵している資料を約30点公開いたします。更に、稲村の生涯と稲村が追いかけた倭寇の詳細についても紹介いたします。
稲村賢敷という一人の人間を通して見えてくる歴史の姿を是非、見ていただければと思います。
写真1 稲村賢敷(1894~1978)
写真2 宮古島市総合博物館で昨年実施された稲村賢敷生誕125周年記念の展示会
主任学芸員 山本正昭