最終更新日:2019.09.24
写真1 展示中のバタス
写真2 ツノザラ(左)とユノーシ(右)
写真3 バタス(左)からツヌザラ(右)へ神酒を注ぎ入れる
写真4 神酒の入った甕とポリバケツ
写真5 アレーキ祭場
写真6 ツヌザラに入れた神酒をツカサへ捧げる
博物館にはたくさんのモノ(資料)があります。学芸員はそれぞれのモノが示す学術的意味を伝えるために、日々モノと向き合っています。なかでも民俗担当の学芸員は、人びとの暮らしの中で用いられる民具を通して沖縄の文化を知りたい、伝えたいと考えながら試行錯誤しています。
写真1と2は現在展示中の「バタス」、「ユノーシ」、「ツヌザラ(角皿)」です。いずれも宮古や八重山の祭祀で用いられる民具です。祭祀(Cult)という語は、民俗学や文化人類学で使われている学術用語です。科学では説明することのできない、不思議で神秘的な存在、たとえば「神様」や「祖先」といった超自然の存在への信仰、さらにはその信仰から行われる儀礼をまとめて祭祀といいます。祭祀は人びとの信仰心をもとに行われる行為であるため、目にすることが難しいものです。さらには儀礼を通して目にすることができたとしても、その場限りの一場面であることも多いです。しかし、祭祀で使われる民具に注目してみると、その背景にある人びとの考え方や生活を知ることができます。
私は2019年6月に多良間島のスツウプナカという祭祀を調査しました。その祭祀ではバタス、ユノーシ、ツヌザラが用いられていました。それはまさに、それぞれの民具の背景にある人びとの信仰心を目の当たりにする場面でした。今回のコラムでは、その様子をお伝えしたいと思います。
スツウプナカとは旧暦5月に多良間島で行われている行事です。スツウプナカでは粟の初穂を神さまに供えて実りを感謝し、来年の豊作を祈願します[沖縄県立博物館1990:34]。その祭祀のために2か月前から役割分担が行われ、着々と準備が進められていきます。2019年では4月26日に予算会が開かれてスツウプナカの準備期間に入り、6月26日に全ての儀礼が終わりました。私は6月25日と26日の儀礼を観察しました。
25日には島内の4つの祭場で神歌を歌いながら神酒を捧げる儀礼が行われました。この儀礼で用いられるのがバタス、ユノーシ、ツヌザラです。まず、ツヌザラとユノーシは神酒を入れる椀のことで、バタスは神酒をツヌザラやユノーシに注ぎ入れる容器です[上江洲1982:163-165]。多良間島の言葉ではユノーシをユナウスといいます。写真3はアレーキジュニという祭場で用いられているバタスとツヌザラです。スツウプナカでは7日間かけて米の神酒、5日間をかけて芋の神酒を作ります(写真4)。その神酒をバタスに入れ、さらにそのバタスからツヌザラに神酒を注ぎ入れ、神歌の儀礼が行われるのです。
写真5、6はアレーキ祭場での神歌の儀礼の様子です。祭場にはツカサと呼ばれる女性神役、男性神役や古老、村の役員などが招かれ、祈願を行ったあとに神歌と神酒のやりとりが行われました。ブシャザという神酒の管理をする男性たちがバタスとツヌザラを持ち、招待客の前で神歌を歌い、神酒を捧げます。招待客も神歌を歌いながら神酒を押し戴き、明るい歌のリズムとはやしに乗って立ち上がり、ツヌザラを掲げ揺らして今年の豊作に感謝し、来季の実りを願います。その神歌の歌詞はつぎのとおりです。
歌詞
1 うやき角皿よ
ぴやしばーど
世や直り
ウヤキユナオーレガ
ユイトーレガ
ヒーヤッカ ヤッカ〈以下略〉
2 黄金、角皿よ
ぴやしばーど
世やなおりー
意訳
豊年の角皿よ
はやしたてるほど
世は直るのだ
〈囃子。豊年な世に直れ
ユイトーレガ
ヒーヤッカ ヤッカ〉
黄金の角皿よ
はやしたてるほど
世は直るのだ
『村誌たらま島』411頁より
この歌詞をみると、スツウプナカの神歌が実りや豊穣を喜び、感謝し、祈願するものであること、さらにはその儀礼で用いられているバタスやツヌザラがその信仰と儀礼を象徴する民具であることが分かります。スツウプナカの最後の2日間、島内の4つの祭場だけではなく、その祭場と結びついた家々では深夜までこの神歌が歌われ、ヤッカヤッカというはやしが響き渡っていました。このような人びとの喜びや祈りについて、民具をとおして知りたい、伝えたいと強く実感した調査でした。
〈参照文献〉
沖縄県立博物館 1990『企画展 沖縄の祭り』沖縄県立博物館
上江洲 均 1982『沖縄の暮らしと民具』慶友社
多良間村誌編纂委員会 1973『村誌たらま島』 多良間村長 下地朝憲
学芸員 阿利よし乃