最終更新日:2008.10.08
1974年、那覇市銘刈で見つかった康煕九年(1670)の銘入りの喜名焼厨子甕(写真1)がこのタイプの古い型です。1670年といえば、壺屋へ窯が統合される12年前のことであり、喜名焼の歴史を考える上で貴重な資料です。また、これが基準となって、甕(壺)型の古いタイプの存在が分かってきました。胴部には、横から背後にかけて、蓮華の線彫りがなされ、釘で彫った銘書には、「真和志間切安謝村上地之大志ゆ女房入 康煕九年庚戌七月初三日 右読谷山にて焼申候」とあります。同じ系統のもので1671年銘入り(写真2)も出ており、1682年の壺屋への窯の統合以前なので、中部の読谷村喜名窯や沖縄市知花窯の製品が多かったものと想像されます。
これが1730年代以降になると、赤っぽい甕型が多くなり、全体的に厚ぼったく、胴部には線彫りがほとんどありません。これを俗にボージャージーシといいます(写真3)。装飾のための張りつけのない形が、「禿げ坊主」を連想させるところからついた名であると考えられます。これは乾隆年間(1736~1795)に集中しますが、後半は赤焼の御殿型とも時代的につながります。
主任学芸員 岸本 敬