【企画展「激動の明治・大正の沖縄 第11代齋藤用之助の足跡から」閉幕のお知らせ】
沖縄県の緊急事態宣言が発令されたことに伴い、新型コロナウイルス感染拡大の防止のため、当館は8月2日(日)から8月15日(土)まで臨時休館いたします。そのため、企画展「激動の明治・大正の沖縄 第11代齋藤用之助の足跡から」は8月1日(土)をもって閉幕とさせていただきます。
本展を楽しみにして下さっていた皆様にはご迷惑をおかけしますが、ご理解をいただきますようお願い申し上げます。
沖縄で神様と呼ばれた男「第11代齋藤用之助」
明治から大正にかけ、沖縄の近代化に大きく貢献した「第11代齋藤用之助(1859-1933)」を皆さんはご存じでしょうか?まず、その名前の由来ですが、齋藤家は武士の一族として佐賀藩の鍋島家に仕え、代々「用之助」を襲名しています。(現在は第14代です)
第11代用之助氏は沖縄県が発足した1879(明治12)年、旧佐賀藩より初代県令鍋島直彬とともに警察官として赴任し、その後沖縄県職員として46年間にわたり沖縄の農業の発展やインフラ整備、学校教育に尽力しました。
第14代用之助氏より琉球王国ゆかりの盃や重箱などが当館に寄贈されました。
「第11代齋藤用之助」の功績
第11代用之助氏は沖縄県の産業基盤、道路整備、人材育成に尽力し激動の明治・大正期の沖縄で数々の礎を築きました。なかでも明治36年に硫黄島が大噴火した際は、硫黄島全島民700人の意見を聞き納得を得たうえでわずか10ヶ月という短期間で久米島への移住を実現させました。
人だけでなく島民の人々が大切にしていた御嶽や先祖の遺骨も共に移住できるように配慮し、移住後の生活が安定するような施策も進めました。移住先では毎年、移住記念祭が開かれ、「今あるのは齋藤氏のお陰。神様です」と感謝されています。
移住の資料 きめ細かな調査の様子が詳細に記載されています。
「第11代齋藤用之助」の人となり
数々の偉業を成し遂げながらも、その人柄はとても穏やかで協力的。常に沖縄の人々を想い、寄り添っていました。第11代用之助氏の先祖は今から300年前、佐賀藩で誕生した武士道の書『葉隠』に登場します。その中に「大慈悲を起こし人の為になるべき事」 という文言があります。硫黄鳥島の島民移住の取り組み等にも見られるように、第11代用之助氏にも「大慈悲」の精神が受け継がれていました。
第11代用之助氏はヒージャー(山羊)料理をこよなく愛し「ヒージャー郡長」と呼び慕われました。島尻郡長退官の際は、氏を思慕する1万人余の郡民が集まり、会場周辺の森や高台まで群をなすほどでした。
移住記念碑
おすすめ展示のご案内
展示室ではドキュメンタリー形式で久米島移住を再現した映像作品「沖縄で神様と呼ばれた男」を公開中!「識名園 園遊会 記念盃」をはじめとした第11代用之助氏ゆかりの逸品や、明治期の琉球の姿を記録した貴重な写真30枚も展示しています。あわせてお楽しみください。
・第11代齋藤用之助氏
ゆかりの逸品『識名園 園遊会 記念盃』
・写真が語る明治期の沖縄
『明治期琉球写真帳』(琉球大学付属図書館蔵)
齋藤用之助
明治・大正の沖縄
沖縄県の近代化
用之助港
久米島鳥島神社