1. Special Exhibition: Commemorating the 50th Year of Reversion "Ryukyu: World of Beauty"

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Special Exhibition: Commemorating the 50th Year of Reversion "Ryukyu: World of Beauty"

2022.10.14(Fri) ~ 2022.12.04(Sun)

Special Exhibition: Commemorating the 50th Year of Reversion "Ryukyu: World of Beauty"

The Splendor of Ryukyu as represented by its World of Beauty

琉球漆器
Vermillion, gold-inlaid lacquerware featuring a tomoe symbol crest, used for ceremonial rice offerings.(Designated by the prefecture as a tangible cultural property.)16th to 17th century

Through an exploration of its historical and cultural background, this exhibit showcases the splendor of Ryukyu as represented by its distinctive aesthetic – its World of Beauty.

Ryukyu: World of Beauty is the largest exhibition ever of its kind, featuring Ryukyu and Okinawa related materials that have managed to survive the damage of war. It also features many items that are being exhibited for the first time ever in Okinawa Prefecture.

Due to a wide variety of measures as well as the efforts of Okinawan citizens, as well as the efforts of Okinawan citizens, Okinawa has achieved rapid growth and is now embarking on a new chapter in its history. Okinawa, consisting of a collective of many small islands, has a long history of cultural exchange with a variety of kingdoms through its sea network. In this way, it has established its own distinctive culture as the Ryukyu Kingdom.

Like a breath of fresh air, the influence of Ryukyu’s culture on our modern daily lives and work can be observed and felt in a variety of ways.

In this exhibit, through an exploration of historical and cultural materials from the Ryukyu Kingdom, we seek to discover the origins of the Ryukyuan aesthetic and use this deeper undersanding as the catalyst with which we can begin to re-examine our "Ryukyuan" identity.

We can take this notable moment in time in 2022 – 50 years since the return of Okinawa to Japan– as an opportunity to reflect on the present and dream of the future for Okinawa.

Section 1: Bankoku Shinryo ーA Bridge Between Asian Nationsー

進貢船模型

Model of a tribute ship used by the Ryukyu Kingdom for envoys to China. Meiji Period, 19th century. (Tokyo National Museum Collection)

In the 14th and 15th centuries, the Ryukyu Kingdom was the central axis of tribute trade between Japan, the Korean Peninsula, mainland China, and Southeast Asia. Actively participating in this vast network of exchange, the Ryukyu Kingdom flourished and became highly prosperous.

Additionally, through its incorporation of cultural ideas from abroad, the Ryukyu Kingdom invented a large variety of new, speciality cultural products.

In this section of the exhibit, we will introduce the historical background that gave birth to Ryukyu’s distinctive aesthetic.

 

Section 2: Ryukyuan Aesthetic

紅型琉球衣装

《紅型琉球衣装》

As the Ryukyu Kingdom entered a period of great prosperity and stability, it began to produce many new artistic products that reflected its years of cultural exchange and bountiful nature.

The brilliance of these new cultural products continues to mesmerize not only those from within Japan, but also those from abroad.

In this section, we seek to introduce the variety of beautiful cultural products that were nurtured in Ryukyu.

Section 3: Island Life and Prayers

女性の祭司ノロの図

Depiction of a Noro (Priestess in Ryukyuan religion) Second Sho Dynasty, 19th century. Tokyo National Museum Collection

While continuing to pray for abundant blessings from nature, the people of Ryukyu have nurtured a diverse set of cultural practices and customs that are rooted in the landscape.

In this section, through an examination of their daily lives and prayer practices, we seek to explore the Ryukyuan aesthetic that is embraced by the people of Okinawa and that underpins the Ryukyu Kingdom. 

 

■ 「復帰」と私

担当学芸員 伊禮 拓郎

―1972年5月15日、どこで何をしていましたか?

はにかむ伊禮学芸員

私は1994年生まれなので、復帰のときは生まれていませんでした。母親のおなかの中にもいませんでしたし、存在すらしていないという状況です(笑)。
両親は10歳、小学校5年生くらいでした。
母は割と天然ちゃんというか…。そんな感じの人で、沖縄が本土に復帰するということで、沖縄島が船に引っ張られて鹿児島に合体すると思っていたようです(笑)。何を馬鹿なこと言っているんだ、といつも言うのですが。まあ、そんな認識だったようです。

お母さんの話で照れ笑いする伊禮学芸員

両親は小さかったので、ドルを使っていたという記憶がギリギリあるだとか、日本になるということが(物理的に)日本とくっつくことだとか、雪が降るようになると思っていただとか、そんなことを聞いています。僕の両親と同世代の沖縄の人たちは、そういうふうに思っていたのかなと思うと、リアルで面白いなと思います。

―「復帰」という言葉を初めて聞いて、考えたことは何ですか?

初めて聞いたのは、いつのことだろう?
ものごころついた頃には、すでにテレビで「復帰」という言葉が流れていたわけですから、まあ、沖縄県ではない時代があったのだな、というのは小学校くらいで認識していたと思います。

復帰50年の節目。それは「記念」なのか。​​​

展覧会の冠について語る伊禮学芸員

当館の展覧会のお話をすると、「復帰50年」という冠名称にはこだわっていて、この名称を決めるためにそれなりの時間が割かれました。「復帰50年」にするか、「復帰50周年」にするか、「復帰50年記念」にするのかというのには、喧々諤々ありました。「周年」も「記念」も言葉の意味としては「区切り」という意味しかないのですが、でも私の思いとしては、なんだかポジティヴな印象のみで受け取られそうだなというところがあったので、今回「周年」や「記念」という言葉は抜きたいという話をしました。
「復帰」という言葉への思いを考えると、日本に戻ることを問う声、あるいは琉球独立を言う人もいますし、すべてが沖縄の要望通りにはならなかったというところで、「記念」という言葉はつけない、特に博物館は客観的な立場に立たなければならないということで、「復帰」という冠の名称付けに配慮したつもりです。

先輩の言葉を反芻する伊禮学芸員

議論のときに、考古担当学芸員の山本正昭さんから出た話なのですが、展覧会の図録が大事だと。復帰20年、30年、40年のときの図録には、「記念」あるいは「周年」が入っており、それが当時の博物館の考えをよく表しているということでした。そして今回、「周年」「記念」が乗っかるかどうかは、博物館がどういうスタンスでいるかを表すことになるのだと言っていました。

 

―未来の沖縄はどうなると思いますか?また伊禮さんが「希う」未来とは?

復帰100年の未来について語る伊禮学芸員

「復帰100年」を迎えた時のことを考えるとですね(笑)…当館の博物館学芸員のなかで、次世代に今を伝えることができるのは年齢的に言って、私ともう一人の担当の篠原あかねさんだけじゃないかなと思っています(笑)。
そう考えると、未来を思う前に、「今」をきちんと記録しておかないといけないな、と思っています。特に復帰50年のこの年は。
東京国立博物館の後は九州国立博物館の展示があって、10月には沖縄へやって来るのですが、それぞれの会場で人々がどう思っているかをきちんと記録する、あるいは自分の肌で感じるということ。それを復帰100年のときにきちんと語り継いでいきたいと思いますし、館の出来事を伝えたり、記録したりすることが、一番若い自分の仕事なのかな、と思っています。

 

そうなると、私の願う未来の沖縄は「平和」ということになるんだろうと思います。今のロシア、ウクライナの情勢、そしてコロナの状況を見てもそうですが、やっぱり平和じゃないと何もできない。
おきみゅーでは「琉球王国文化遺産集積・再興事業」という復元事業をやってきましたけど、それができたのも安定した世の中だからだと思います。

文化の力とは何か?

文化について語る伊禮学芸員

人類担当学芸員の山崎真治さんが、文化の力こそ世の中を明るくできるというようなことを言っていました。沖縄だけではなく、日本も東アジアも、あるいは世界も文化の力で明るくできればいいなと思います。
かつて「手わざ展」(復元事業の成果展)を外国でやろうという話があったんです。残念ながら断念しましたが…。
例えば、今戦争で傷ついているウクライナをはじめ、アフガニスタンやトルコなど文化財が破壊された国に、失った文化や技術は取り戻すことができる、ということを伝えたいと思っています。戦争を経験した沖縄だからこそ、復元事業を経験したおきみゅーだからこそ発信できることで、世界にアピールできればと思っています。

 

文化が生き永らえる限り、その国は生き続ける。

東京国立博物館で開催されたアフガニスタン展の図録だったか、こんな言葉を読んだことがあります。「文化が生き永らえる限りその国は生き続ける」。アフガニスタンの国立博物館の入口に掲げられているそうです。

沖縄の未来について語る伊禮学芸員

「琉球展」の話に戻りますが、今は沖縄県ですが、私たちの博物館はある意味で琉球だなと。ここに琉球が生き続ける限り琉球王国は存続し続けていると思います。
逆に、おきみゅーがそういうことを辞めてしまうと、琉球はやがて跡形もなくなってしまう。琉球も沖縄も含めて存続させること。心の中にあるいは形として残すことが、我々のつとめであり、これからなすべき役割だと思います。
願わくは、おきみゅーが新しい文化を創出するきっかけになればと思います。復元事業では、失われた技術を取り戻しました。取り戻したものを新しいモノづくりに生かせば、新しい文化の創造につながっていくと思います。それがまた沖縄を豊かにすることにつながればうれしいです。その根底にはやはり平和があるのだと思っています。

Exhibitions

Dates 2022.10.14 ~ 2022.12.04
Location Special Exhibition Room 1,Special Exhibition Room 2,Planned Exhibition Room
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