モトカハーマイ(共通語)

概要

与那国に始めの司っていうのが生まれたって言うは、冨里家に大屋から嫁に来た人はらしいんだ。その人はあるとき、自分の実家の屋根の上に乗って、大きな二つのお碗に水をいっぱい入れて、こうやって手のひらに乗っけてですね、東に向かってお辞儀しては、大きな声で、「水(みでぃ)んだどー、水(みでぃ)んだどー。」って何回も言ってるからよ、もう家ではひいひいして、「下りてこい。」と言っても、絶対下りて来ないから、驚いて村人皆が集まってね、「あら、あの人頭が狂ってるんじゃないか。」って言ってみんなで手をたたいて笑っとったらしいですよ。それでもこの人はやめないでずうっとやって、そして自分がもう、思う存分やってから下りてきたらしい。それから二十日か一か月か過ぎてから、石垣から船が入ってきて、その船の人に聞くと、その女の人が屋根に登っていたときに石垣の蔵元は丸焼けになったってさ。それが、時間を聞くと同じ時間だったって。だから、沖縄の王様が、「この人はただの人じゃない。神様だ。与那国の司になりなさい。」って命令されたっていう話で、これが与那国の司の始まりっていうことになってる。その人は、そこの丘の野底(ぬっく)御嶽(だ き)を最初に作ってそこを担当しておったということで、与那国では旧の一〇月から一二月の間に、二五日間全然島内で四つ足をつぶすことを禁じられた与那国祭というのが毎年ありますよね。その時に、久部良祭りから始まって、浦祭り、島仲(んまなか)祭(まちり)、帆安(んだん)祭(まちり)、比川(んでぃむら)祭(まちり)って五つあるですよね。この五つが済むまでに二五日間なりますよ。その五つの祭りのたんびに、ここの野底(ぬっく)御嶽(だ き)の正面(たんか)にですね、ちゃんとこの人の香炉がありますので、その香炉をして、そこにみんなうさぎもの置いて花を生けて、「今日はなんの祭であります。」って言って手を捧げてですね、二五日間の祭りが終わった翌日の二六日目の朝には、「もう、これで終わりましたので、あぎ、許してください。」って言ってそこをまたどかすのを今は引っ越したから私もうやってませんけどね、それをずっとやってたんですよ。その司の持ち道具にはいろんな線香箱、こんな長いジーファー、ここにはく玉、それと唐から持ってきたとか言っとった金(かね)の盃、蓋の取っ手が龍の急須、神酒を入れる甕があって、それはこの人の道具だったから、私の家はその家の次男ですからね、私の実家ではずうっと大事にとってありますよ。よくフタンギを買いにいらっしゃらる方なんか見てですね、「いくらでもいいから分けてくれ。譲ってくれ。」と言うが、私(うち)の母が、駄目だって、「これは先祖のものだから絶対駄目。」と言って売らなかったからまだありますよ。

再生時間:7:17

民話詳細DATA

レコード番号 47O341678
CD番号 47O34C128
決定題名 モトカハーマイ(共通語)
話者がつけた題名
話者名 冨里康子
話者名かな ふさとやすこ
生年月日 19160723
性別
出身地 沖縄県八重山郡与那国町祖納
記録日 19960918
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 与那国町祖納 T04 A04
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 20,80
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料
キーワード 与那国,司,冨里家,大屋,嫁,屋根の上,お碗,水,東,みでぃんだどー,水,石垣,船,蔵元,丸焼け,沖縄,王様,神様,与那国,司,野底御嶽,二五日間,与那国祭,久部良祭り,浦祭り,島仲祭,帆安祭,比川祭,香炉,持ち道具,線香箱,ジーファー,玉,唐,金の盃,蓋の取っ手,龍,急須,神酒,甕
梗概(こうがい) 与那国に始めの司っていうのが生まれたって言うは、冨里家に大屋から嫁に来た人はらしいんだ。その人はあるとき、自分の実家の屋根の上に乗って、大きな二つのお碗に水をいっぱい入れて、こうやって手のひらに乗っけてですね、東に向かってお辞儀しては、大きな声で、「水(みでぃ)んだどー、水(みでぃ)んだどー。」って何回も言ってるからよ、もう家ではひいひいして、「下りてこい。」と言っても、絶対下りて来ないから、驚いて村人皆が集まってね、「あら、あの人頭が狂ってるんじゃないか。」って言ってみんなで手をたたいて笑っとったらしいですよ。それでもこの人はやめないでずうっとやって、そして自分がもう、思う存分やってから下りてきたらしい。それから二十日か一か月か過ぎてから、石垣から船が入ってきて、その船の人に聞くと、その女の人が屋根に登っていたときに石垣の蔵元は丸焼けになったってさ。それが、時間を聞くと同じ時間だったって。だから、沖縄の王様が、「この人はただの人じゃない。神様だ。与那国の司になりなさい。」って命令されたっていう話で、これが与那国の司の始まりっていうことになってる。その人は、そこの丘の野底(ぬっく)御嶽(だ き)を最初に作ってそこを担当しておったということで、与那国では旧の一〇月から一二月の間に、二五日間全然島内で四つ足をつぶすことを禁じられた与那国祭というのが毎年ありますよね。その時に、久部良祭りから始まって、浦祭り、島仲(んまなか)祭(まちり)、帆安(んだん)祭(まちり)、比川(んでぃむら)祭(まちり)って五つあるですよね。この五つが済むまでに二五日間なりますよ。その五つの祭りのたんびに、ここの野底(ぬっく)御嶽(だ き)の正面(たんか)にですね、ちゃんとこの人の香炉がありますので、その香炉をして、そこにみんなうさぎもの置いて花を生けて、「今日はなんの祭であります。」って言って手を捧げてですね、二五日間の祭りが終わった翌日の二六日目の朝には、「もう、これで終わりましたので、あぎ、許してください。」って言ってそこをまたどかすのを今は引っ越したから私もうやってませんけどね、それをずっとやってたんですよ。その司の持ち道具にはいろんな線香箱、こんな長いジーファー、ここにはく玉、それと唐から持ってきたとか言っとった金(かね)の盃、蓋の取っ手が龍の急須、神酒を入れる甕があって、それはこの人の道具だったから、私の家はその家の次男ですからね、私の実家ではずうっと大事にとってありますよ。よくフタンギを買いにいらっしゃらる方なんか見てですね、「いくらでもいいから分けてくれ。譲ってくれ。」と言うが、私(うち)の母が、駄目だって、「これは先祖のものだから絶対駄目。」と言って売らなかったからまだありますよ。
全体の記録時間数 7:17
物語の時間数 7:17
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

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