じょうぬひやのからわたり
久米島にね、堂という所は二ヵ所あったんですよ。大昔、この島の始まりは、この二ヵ所であるわけだけれども、一ヵ所にはね、悪堂之比屋という人がいて、また一ヵ所には義本王の弟でテンキンコウ様という天気を測った堂之比屋がいたんです。テンキンコウ様は、どうして天気を測ったかというと、海を見て回ろうと行ったら、海に箱が流れてきてね、テンキンコウ様はその箱を見つけて中を見たら子供が中に入っていてよ、人間の子だったので、この人が箱から出して七つまで育てたそうだ。この子が七つになったら、唐に向かってもう昼夜、眠らないで泣いてよ、そうしたから、これは珍しいことだから、「私は是非ともナカベー(中空)から船を走らせ、唐をさがして行かなければならない。」と言って、今の飛行機みたいな物さ。それで、テンキンコウ様が久米島から唐までこのナカベーから舟走らして行ったというのは、ここの年寄達が分かりますよ。そうして、子供を連れて唐にいらっしゃたらね、唐の人が、「どこに行くのか。」と言うから、「この国に私が来たのはただ来たのではない。私は久米島の者だが、海から箱が流れてきたので、拾ったら人間の子供が入っているから、その子を私が七つになるまで育てたら、こっちに向かって泣いているから不思議に思って、この子を私はこうして、ここへ連れて来た。」と言うので調べたらその子は、あちらの王の子供だったよ。だから、唐の国の王は、喜んで、「金を多く与える。」と言うと、「いや、私は金は好かんよ。金は嫌いだがね、このいろいろの作物の種物が欲しい。それとまた天気を観測する天文の学校に入れて下さい。」と言ってお願いしたので、それで、あちらで天文の観測を勉強したって。だから、久米島にはテンキンコウ様がいながらにして、天文を測る石があったよ。
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レコード番号 | - |
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CD番号 | - |
決定題名 | 堂之比屋の唐渡り |
話者がつけた題名 | - |
話者名 | 与座春子 |
話者名かな | よざはるこ |
生年月日 | 18920205 |
性別 | 女 |
出身地 | - |
記録日 | 19761227 |
記録者の所属組織 | 沖縄国際大学口承研 |
元テープ番号 | 仲里T57A13 |
元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
分類 | - |
発句(ほっく) | - |
伝承事情 | - |
文字化資料 | 仲里の民話P114 |
キーワード | - |
梗概(こうがい) | 久米島にね、堂という所は二ヵ所あったんですよ。大昔、この島の始まりは、この二ヵ所であるわけだけれども、一ヵ所にはね、悪堂之比屋という人がいて、また一ヵ所には義本王の弟でテンキンコウ様という天気を測った堂之比屋がいたんです。テンキンコウ様は、どうして天気を測ったかというと、海を見て回ろうと行ったら、海に箱が流れてきてね、テンキンコウ様はその箱を見つけて中を見たら子供が中に入っていてよ、人間の子だったので、この人が箱から出して七つまで育てたそうだ。この子が七つになったら、唐に向かってもう昼夜、眠らないで泣いてよ、そうしたから、これは珍しいことだから、「私は是非ともナカベー(中空)から船を走らせ、唐をさがして行かなければならない。」と言って、今の飛行機みたいな物さ。それで、テンキンコウ様が久米島から唐までこのナカベーから舟走らして行ったというのは、ここの年寄達が分かりますよ。そうして、子供を連れて唐にいらっしゃたらね、唐の人が、「どこに行くのか。」と言うから、「この国に私が来たのはただ来たのではない。私は久米島の者だが、海から箱が流れてきたので、拾ったら人間の子供が入っているから、その子を私が七つになるまで育てたら、こっちに向かって泣いているから不思議に思って、この子を私はこうして、ここへ連れて来た。」と言うので調べたらその子は、あちらの王の子供だったよ。だから、唐の国の王は、喜んで、「金を多く与える。」と言うと、「いや、私は金は好かんよ。金は嫌いだがね、このいろいろの作物の種物が欲しい。それとまた天気を観測する天文の学校に入れて下さい。」と言ってお願いしたので、それで、あちらで天文の観測を勉強したって。だから、久米島にはテンキンコウ様がいながらにして、天文を測る石があったよ。 |
全体の記録時間数 | 3:23 |
物語の時間数 | 3:23 |
言語識別 | 方言 |
音源の質 | ○ |
テープ番号 | - |
予備項目1 | - |