
これはね、昔、内地から、坊さんをパンと白い紙をつめた箱に入れて流したら、金武の浜辺に着いた。その箱を比嘉という人が初めに見つけたって。村人も集まってきて、箱の中を開けてみたら、パンはみんな食べられて、白い紙と坊さんだけが入っていた。坊さんが村人たちに聞いたそうだ。「誰が私の命を助けたか。」と。「比嘉という人です。」と言ったら、その紙はみんなあげるからと、比嘉に箱に入っていた白い紙をあげた。それで、今でも紙比嘉(かびひじゃー)という名前がついているそうだ。それから、坊さんは聞いた。「ここに寺はないか。」と。「寺はあるがね、蛇(じゃー)が出てそこに住む人はおらん。」と言ったら、坊さんは寺へ行ってお経を詠み、「とぉ、もうジャー(大蛇)は出ないから。」と言って、翌朝早く那覇に向かった。同じころ、金武の儀保の娘は、カシスミヤーなので、那覇でカシを染めてもらうために家を出た。そしたら、金武の寺の近くの三叉路(さんさろ)で坊さんと出会ったって。「はい。」と、娘が挨拶したら坊さんは、「お前はどこへ行くのか。」と聞いた。二人とも一緒、目的地は那覇でしょう。それで一緒に那覇に行ったそうだ。ところが、その坊さんは偉い坊さんだからね、那覇近くなって娘に術をかけた。術をかけられた娘は前に歩けない。坊さんは娘と相談してね、宿をとったそうだ。男と女だから別々に寝ることは宿の人に相談してあったが、娘は坊さんに押されたそうだ。寝るときは別々だが、術を知っている坊さんに押さえられて、娘は妊娠してしまった。そのことを娘はお母さんに話したがね。これは恥、夫もないただの子でしょう。子供を降ろすために、娘は毎日鉄を煎じて飲んだそうだ。ところが、子供は十二ヵ月もった。腹の中の子は、生まれる前からお母さんに言ったって。「私は人の生まれるところから生まれないから、私が生まれたらお母さんは死ぬよ。また私が死んで生まれたら、お母さんは生きるよ。」と。お母さんが、「なぁ、お前はこんなに長くもって大変だ。私は死んでもいいから。」と言ったら、母親の胸を裂いて出てきた。その子がチョーフグン親方だ。チョーフグン親方が七つ、八つのころ、大きな石ナグーで遊んだそうだが、その石が、今も金武の儀保という家の庭にあるそうだ。成長するにつれて力も強くなってきたチョーフグン親方は、十二才になったら、ザルを担いで首里に売りに言った。そしたら、のんきな人だから、売れないときは寝ておった。寝ておったら、通りがかった人たちはみんな、ザルを盗んで持ち帰ったそうだ。それで、また翌日、大きな長い棒を担いでザルを売りにやってきたが、今度は寝たふりをしていた。 「これまた、ニーブヤーがきておるから、また盗んでやろう。」とみんなでザルを取ろうとしたら、チョーフグン親方は、「はい。」と、そのとき起きて、昨日の分まで代金を取ったそうだ。このチョーフグン親方のことが、王様の耳に入って、「こんな力武士はおらん。」と言ってね。島津(しまづ)から琉球に攻めてきたときに、チョーフグン親方を先頭に戦ったら、一回は勝って、成功したそうだ。それで、島津は安仁屋(あにや)という人にお金をやって、チョーフグン親方を殺す計画をたてた。チョーフグン親方は、体はみんな鉄だが、喉(のど)だけは肉であったそうだ。安仁屋は、チョーフグン親方の髭を剃(そ)ると言って、喉をカミソリで切って殺した。チョーフグン親方が死んだということを聞いた島津は、また戦(いくさ)にやってきた。琉球は、チョーフグン親方の死体を棒でささえて立てていたが、死んでから一週間から二週間もなるので、うじ虫がわいているわけね。そしたら、島津の兵が琉球に向かってきたときには、チョーフグン親方が立っている。遠くから見たら、チョーフグン親方はまだ生きておると言って、島津の兵たちは前に進んでこない。死体から出たうじ虫を見て、「あれは、チョーフグン親方がハチャグミを食べておるから、もう大変。」と言ってね。そしたら、今度は首里城の人が、チョーフグン親方をつっかけて倒した。倒したら、「は、今度は大変だ。今、チョーフグン親方が刀を取ったから大変だ。」と言って、島津の兵は、前にいた琉球の兵だけを切って、逃げたそうだ。
| レコード番号 | 47O411884 |
|---|---|
| CD番号 | 47O37C072 |
| 決定題名 | チョーフグン親方(共通語) |
| 話者がつけた題名 | - |
| 話者名 | 喜納兼保 |
| 話者名かな | きなけんぽ |
| 生年月日 | 19141123 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 与那城村桃原 |
| 記録日 | 19870731 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄口承文芸学術調査団 |
| 元テープ番号 | 与那城村T13B23 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 12 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | よなぐすくの民話P375 |
| キーワード | ,比嘉,白い紙,坊さん,ジャー,金武の儀保の娘,カシスミヤー,、金武の寺,術,妊娠,鉄を煎じて飲んだ,チョーフグン親方,戦,島津,安仁屋,体は鉄,喉は肉,髭,うじ虫,ハチャグミ |
| 梗概(こうがい) | これはね、昔、内地から、坊さんをパンと白い紙をつめた箱に入れて流したら、金武の浜辺に着いた。その箱を比嘉という人が初めに見つけたって。村人も集まってきて、箱の中を開けてみたら、パンはみんな食べられて、白い紙と坊さんだけが入っていた。坊さんが村人たちに聞いたそうだ。「誰が私の命を助けたか。」と。「比嘉という人です。」と言ったら、その紙はみんなあげるからと、比嘉に箱に入っていた白い紙をあげた。それで、今でも紙比嘉(かびひじゃー)という名前がついているそうだ。それから、坊さんは聞いた。「ここに寺はないか。」と。「寺はあるがね、蛇(じゃー)が出てそこに住む人はおらん。」と言ったら、坊さんは寺へ行ってお経を詠み、「とぉ、もうジャー(大蛇)は出ないから。」と言って、翌朝早く那覇に向かった。同じころ、金武の儀保の娘は、カシスミヤーなので、那覇でカシを染めてもらうために家を出た。そしたら、金武の寺の近くの三叉路(さんさろ)で坊さんと出会ったって。「はい。」と、娘が挨拶したら坊さんは、「お前はどこへ行くのか。」と聞いた。二人とも一緒、目的地は那覇でしょう。それで一緒に那覇に行ったそうだ。ところが、その坊さんは偉い坊さんだからね、那覇近くなって娘に術をかけた。術をかけられた娘は前に歩けない。坊さんは娘と相談してね、宿をとったそうだ。男と女だから別々に寝ることは宿の人に相談してあったが、娘は坊さんに押されたそうだ。寝るときは別々だが、術を知っている坊さんに押さえられて、娘は妊娠してしまった。そのことを娘はお母さんに話したがね。これは恥、夫もないただの子でしょう。子供を降ろすために、娘は毎日鉄を煎じて飲んだそうだ。ところが、子供は十二ヵ月もった。腹の中の子は、生まれる前からお母さんに言ったって。「私は人の生まれるところから生まれないから、私が生まれたらお母さんは死ぬよ。また私が死んで生まれたら、お母さんは生きるよ。」と。お母さんが、「なぁ、お前はこんなに長くもって大変だ。私は死んでもいいから。」と言ったら、母親の胸を裂いて出てきた。その子がチョーフグン親方だ。チョーフグン親方が七つ、八つのころ、大きな石ナグーで遊んだそうだが、その石が、今も金武の儀保という家の庭にあるそうだ。成長するにつれて力も強くなってきたチョーフグン親方は、十二才になったら、ザルを担いで首里に売りに言った。そしたら、のんきな人だから、売れないときは寝ておった。寝ておったら、通りがかった人たちはみんな、ザルを盗んで持ち帰ったそうだ。それで、また翌日、大きな長い棒を担いでザルを売りにやってきたが、今度は寝たふりをしていた。 「これまた、ニーブヤーがきておるから、また盗んでやろう。」とみんなでザルを取ろうとしたら、チョーフグン親方は、「はい。」と、そのとき起きて、昨日の分まで代金を取ったそうだ。このチョーフグン親方のことが、王様の耳に入って、「こんな力武士はおらん。」と言ってね。島津(しまづ)から琉球に攻めてきたときに、チョーフグン親方を先頭に戦ったら、一回は勝って、成功したそうだ。それで、島津は安仁屋(あにや)という人にお金をやって、チョーフグン親方を殺す計画をたてた。チョーフグン親方は、体はみんな鉄だが、喉(のど)だけは肉であったそうだ。安仁屋は、チョーフグン親方の髭を剃(そ)ると言って、喉をカミソリで切って殺した。チョーフグン親方が死んだということを聞いた島津は、また戦(いくさ)にやってきた。琉球は、チョーフグン親方の死体を棒でささえて立てていたが、死んでから一週間から二週間もなるので、うじ虫がわいているわけね。そしたら、島津の兵が琉球に向かってきたときには、チョーフグン親方が立っている。遠くから見たら、チョーフグン親方はまだ生きておると言って、島津の兵たちは前に進んでこない。死体から出たうじ虫を見て、「あれは、チョーフグン親方がハチャグミを食べておるから、もう大変。」と言ってね。そしたら、今度は首里城の人が、チョーフグン親方をつっかけて倒した。倒したら、「は、今度は大変だ。今、チョーフグン親方が刀を取ったから大変だ。」と言って、島津の兵は、前にいた琉球の兵だけを切って、逃げたそうだ。 |
| 全体の記録時間数 | 9:30 |
| 物語の時間数 | 9:30 |
| 言語識別 | 共通語 |
| 音源の質 | △ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |