玉村按司と八重瀬按司(共通語)

概要

話者の伊礼さんの先祖は玉城から来た勝連の子の子孫であり、玉城門中といわれた門中が12代続いた頃に別れて伊礼門中となった。伊礼門中になってから話者の代までは8代になる。勝連の子が西原の門中の祖となったのは次のような話がある。昔、玉城の玉村按司の妻は大変美人だったので、八重瀬按司がその妻を奪おうと玉村按司を攻めた。玉村按司は戦に敗れて自決するが、乳母が玉村按司の子を連れて逃げ、勝連束辺名のクミシ山に隠れた。そのころ平安座には先勝連の白があったが、その先勝連の城に住む按司がその声を聞いて赤子と乳母を助け出し、赤子を大事に育てた。その子が13になったとき八重瀬按司は玉村按司の子が勝連で生きていることを聞き、それを殺そうとした。すると、平安座の平安大主にはちょうど玉村按司と同じく13になる子がいたので、その子を身代りに八重瀬按司を殺し、その間に平安座大主は八重瀬按司を攻めて滅ぼした。やがて、この玉村按司の子は、玉城城主となり、その長男は玉城按司、次男は安谷屋の按司、三男は勝連に来て島建てをした勝連の子となった。ただし平安名御主は、その子が身代りとなって死んだために後継ぎがなく、その位牌は勝連の子の子孫の玉城門中に祀られることになった。勝連の子の墓は、西原の下の岩陰にある按司墓と呼ばれる墓で、玉城門中に祀られている。この玉城門中から伊礼門中の元屋にあたる大元祖の西門が住んだのは西原元島だった。その分家が与勝中の前の方の場所に移り、イリジョーと呼ばれ、明治頃から伊礼門と書いてイリジョーと呼ぶようになった。

再生時間:12:44

民話詳細DATA

レコード番号 47O411465
CD番号 47O37C051
決定題名 玉村按司と八重瀬按司(共通語)
話者がつけた題名
話者名 伊礼英俊
話者名かな いれいえいしゅん
生年月日 19190310
性別
出身地 与那城村西原
記録日 19870228
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 与那城村T24A02
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 20
発句(ほっく)
伝承事情 祖母
文字化資料
キーワード 玉城,勝連の子の子孫,玉城門中,伊礼門中,玉村按司の妻,八重瀬按司が,勝連束辺名のクミシ山,先勝連の城
梗概(こうがい) 話者の伊礼さんの先祖は玉城から来た勝連の子の子孫であり、玉城門中といわれた門中が12代続いた頃に別れて伊礼門中となった。伊礼門中になってから話者の代までは8代になる。勝連の子が西原の門中の祖となったのは次のような話がある。昔、玉城の玉村按司の妻は大変美人だったので、八重瀬按司がその妻を奪おうと玉村按司を攻めた。玉村按司は戦に敗れて自決するが、乳母が玉村按司の子を連れて逃げ、勝連束辺名のクミシ山に隠れた。そのころ平安座には先勝連の白があったが、その先勝連の城に住む按司がその声を聞いて赤子と乳母を助け出し、赤子を大事に育てた。その子が13になったとき八重瀬按司は玉村按司の子が勝連で生きていることを聞き、それを殺そうとした。すると、平安座の平安大主にはちょうど玉村按司と同じく13になる子がいたので、その子を身代りに八重瀬按司を殺し、その間に平安座大主は八重瀬按司を攻めて滅ぼした。やがて、この玉村按司の子は、玉城城主となり、その長男は玉城按司、次男は安谷屋の按司、三男は勝連に来て島建てをした勝連の子となった。ただし平安名御主は、その子が身代りとなって死んだために後継ぎがなく、その位牌は勝連の子の子孫の玉城門中に祀られることになった。勝連の子の墓は、西原の下の岩陰にある按司墓と呼ばれる墓で、玉城門中に祀られている。この玉城門中から伊礼門中の元屋にあたる大元祖の西門が住んだのは西原元島だった。その分家が与勝中の前の方の場所に移り、イリジョーと呼ばれ、明治頃から伊礼門と書いてイリジョーと呼ぶようになった。
全体の記録時間数 12:44
物語の時間数 12:44
言語識別 共通語
音源の質 ×
テープ番号
予備項目1

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