与那城の始まり(共通語)

概要

与那城村の始まりは金武与那城という人が最初にきずいたので、与那城という名がついた。与那城家の子孫が増えて、食べ物に不自由している頃、屋慶名の仲村渠という人が王府に願い出て、屋慶名の西にあやる西原の開拓を許可してもらった。またこの仲村渠は与那城家の子孫が増え、耕作地が狭いことを理由に与那城の開拓も許可してもらった。仲村渠は働き者だったので耕作地を広げて行ったが、与那城は百姓のできない人であった。仲村渠は子孫の増えた与那城を気の毒に思い、耕作地の一部を与那城に譲ってやった。ところが、そのうちに与那城が死んでしまい、子供達は金武に引き揚げてしまった。そういうことから与那城という名がついた。西原に小潮川という所があるが、その親元は糸満の名城にあった。大晦日には一日がかりでそこを拝みに行くが、天候の悪い時には御通しといって神家があるが、そこから糸満の名城を遥拝した。屋慶名では仲村渠、又吉家が糸満の大殿内を参拝した。与那城は金武の与那城という人の名字をとってつけられた。

再生時間:7:45

民話詳細DATA

レコード番号 47O411068
CD番号 47O37C035
決定題名 与那城の始まり(共通語)
話者がつけた題名
話者名 宮城太郎
話者名かな みやぎたろう
生年月日 19101010
性別
出身地 与那城村与那城
記録日 19861123
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 与那城村T09B04
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 20
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料
キーワード 与那城村の始まり,金武与那城,屋慶名の仲村渠,西原の開拓,糸満の名城
梗概(こうがい) 与那城村の始まりは金武与那城という人が最初にきずいたので、与那城という名がついた。与那城家の子孫が増えて、食べ物に不自由している頃、屋慶名の仲村渠という人が王府に願い出て、屋慶名の西にあやる西原の開拓を許可してもらった。またこの仲村渠は与那城家の子孫が増え、耕作地が狭いことを理由に与那城の開拓も許可してもらった。仲村渠は働き者だったので耕作地を広げて行ったが、与那城は百姓のできない人であった。仲村渠は子孫の増えた与那城を気の毒に思い、耕作地の一部を与那城に譲ってやった。ところが、そのうちに与那城が死んでしまい、子供達は金武に引き揚げてしまった。そういうことから与那城という名がついた。西原に小潮川という所があるが、その親元は糸満の名城にあった。大晦日には一日がかりでそこを拝みに行くが、天候の悪い時には御通しといって神家があるが、そこから糸満の名城を遥拝した。屋慶名では仲村渠、又吉家が糸満の大殿内を参拝した。与那城は金武の与那城という人の名字をとってつけられた。
全体の記録時間数 8:22
物語の時間数 7:45
言語識別
音源の質
テープ番号
予備項目1

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