
実はねえ、私がシンガポールいった時には大正一五年でしたね。で、その当時はあんまり学問というのが、盛んじゃなかった。当時ですから無学が多かったですよ。その無学の方がねえ、鹿児島から、今度、門司に行ったんです。行った所がもう殆どの人が沖縄の先輩格の人で、「こっちは沖縄じゃないかなあ。」というぐらいの四季が暑かったんです。そして、向こうの沖縄の人は、対話するにしても、沖縄語使うんですよ。だから、私はもう学校卒業していますから、そんな話したら、おじさん向こう分からんですよ。「こっち沖縄じゃないか。」って。「いや、違いますよ。こっちは大和。」といってね、言葉が違いますから、「学校の言葉を使いなさい。」と言って、学校の言葉分からないから、仕様ないんですよ。面白い話しようね。もう姉さんにはね、沖縄語でアングヮーと言いよったんですよ。そういう風なことで、私はねえ、もう学問というのは非常に、大切なもんであるということをつくづく感じましてですねえ、それから約一週間ぐらい門司に滞在して、それから、先輩と一緒に向こうからシンガポールに渡って行ったわけなんです。そうしたところが、向こうに上陸して、今でも、その当時は日本人の寄留民が多かったもんですから、例えば遊びに行くにしても、品物買おうと思っても、もう英語も分からんし、マレー語も分からんでしょ。日本の普通語すら分からん先輩ですから、それで、いつも外に行くときには、私がいつも先輩達のお供して通訳になって行ったんです。ある場合には、マッチを切らしてですね、マッチを買いに行こうというから、私はわざっと、「あの兄さん、あなた借りてきなさいよ。」「よし。」といって行ったところがね、マッチという言葉すら分からんのです。もう殆ど沖縄語しか分からんのです。それから、こういう手真似で、「これを貸してください。」というわけですよ。そうすると私が行った所、その奥さんは天草の方でしたけれどもね。そいで、「兄さん、あの方々の言う事、分からんけんどねえ、支那語を使っているんですか。」と。「いやあ、とんでもない。あれは沖縄の言葉使っている。」「ああ、なるほど。沖縄の言葉難しいですねえ。」「じゃあ、全然普通語話せんですか。」というから、「いやあ、普通語なんか全然できない。それで、私が通訳としてついています。」と私は言いましたがね。それから、みんながもう外国行って初めて、学問というのはねえ、もう大切なもんであるということを分かって、それで帰って来たから、それ以来子ども達もね、また孫たちも立派な学校出しておりますよ。
| レコード番号 | 47O380735 |
|---|---|
| CD番号 | 47O38C037 |
| 決定題名 | 言葉の苦労(共通語) |
| 話者がつけた題名 | - |
| 話者名 | 上原忠信 |
| 話者名かな | うえはらちゅうしん |
| 生年月日 | 19121130 |
| 性別 | 男 |
| 出身地 | 沖縄県糸満市町端 |
| 記録日 | 19800907 |
| 記録者の所属組織 | 沖縄口承文芸学術調査団 |
| 元テープ番号 | 島尻郡伊平屋村前泊 T03 A01 |
| 元テープ管理者 | 沖縄伝承話資料センター |
| 分類 | 90 |
| 発句(ほっく) | - |
| 伝承事情 | - |
| 文字化資料 | 伊平屋村民話集 P61 |
| キーワード | シンガポール,無学,沖縄,大和,アングヮー,寄留民,マレー語,通訳,学問 |
| 梗概(こうがい) | 実はねえ、私がシンガポールいった時には大正一五年でしたね。で、その当時はあんまり学問というのが、盛んじゃなかった。当時ですから無学が多かったですよ。その無学の方がねえ、鹿児島から、今度、門司に行ったんです。行った所がもう殆どの人が沖縄の先輩格の人で、「こっちは沖縄じゃないかなあ。」というぐらいの四季が暑かったんです。そして、向こうの沖縄の人は、対話するにしても、沖縄語使うんですよ。だから、私はもう学校卒業していますから、そんな話したら、おじさん向こう分からんですよ。「こっち沖縄じゃないか。」って。「いや、違いますよ。こっちは大和。」といってね、言葉が違いますから、「学校の言葉を使いなさい。」と言って、学校の言葉分からないから、仕様ないんですよ。面白い話しようね。もう姉さんにはね、沖縄語でアングヮーと言いよったんですよ。そういう風なことで、私はねえ、もう学問というのは非常に、大切なもんであるということをつくづく感じましてですねえ、それから約一週間ぐらい門司に滞在して、それから、先輩と一緒に向こうからシンガポールに渡って行ったわけなんです。そうしたところが、向こうに上陸して、今でも、その当時は日本人の寄留民が多かったもんですから、例えば遊びに行くにしても、品物買おうと思っても、もう英語も分からんし、マレー語も分からんでしょ。日本の普通語すら分からん先輩ですから、それで、いつも外に行くときには、私がいつも先輩達のお供して通訳になって行ったんです。ある場合には、マッチを切らしてですね、マッチを買いに行こうというから、私はわざっと、「あの兄さん、あなた借りてきなさいよ。」「よし。」といって行ったところがね、マッチという言葉すら分からんのです。もう殆ど沖縄語しか分からんのです。それから、こういう手真似で、「これを貸してください。」というわけですよ。そうすると私が行った所、その奥さんは天草の方でしたけれどもね。そいで、「兄さん、あの方々の言う事、分からんけんどねえ、支那語を使っているんですか。」と。「いやあ、とんでもない。あれは沖縄の言葉使っている。」「ああ、なるほど。沖縄の言葉難しいですねえ。」「じゃあ、全然普通語話せんですか。」というから、「いやあ、普通語なんか全然できない。それで、私が通訳としてついています。」と私は言いましたがね。それから、みんながもう外国行って初めて、学問というのはねえ、もう大切なもんであるということを分かって、それで帰って来たから、それ以来子ども達もね、また孫たちも立派な学校出しておりますよ。 |
| 全体の記録時間数 | 4:38 |
| 物語の時間数 | 3:52 |
| 言語識別 | 共通語 |
| 音源の質 | ○ |
| テープ番号 | - |
| 予備項目1 | - |