玉御殿の石棺(共通語)

概要

ええっと、今、玉御殿(たまうどぅん)の中にはですね、お墓があるんですけども、これは、あの両方、 破風型(はーふーがた)で、真中からこう仕切られてですね、むかって左の方に、石棺(せっかん)二基入っているわけですよ。右の方は、あれから後の一門の方の甕が四十いくらか入っているんですよ。で、この石棺の話なんですけども、なにか、支那から来たという話を聞いています。それで、ま、その当時は春に、一年間で唐旅といいますか、春に行って、秋に帰ると、十二月頃に帰ることなんですよ。それで、唐から来た唐船がですね、伊平屋を通って、首里の方に行くんだそうですね。で、伊平屋を通ったときに、たまたま伊是名の方に寄港して、一泊をしてから出るわけなんですね。で、そのときに伊是名の今の城(ぐすく)の西の方で、 スダの浜という浜があるんです。スダの浜。その沖にですね、停泊して、で、首里の方に行こうとしたら、天気が時化(しけ)って、 南風(みなみかぜ)で、とってももう行けないんですね。当時はもう、帆だけで通いましたからね。山原船(やんばるせん)でね、で、向かい風になると首里の方に行けないわけ。で、もう何度か順風になったということで、出ようとしたら、また、南風になって引っ返して、それがもう、何回となく引っ返してしまったら、もう、首里の方に連絡が行ってですね、「もう、どうしても行けないんだが、どうしようか。」と言ったら、首里の方からの返事で、「これはどうせね、伊是名におりる石棺だから、そこにおろしなさい。」と言うことで、そこに陸上げしたわけね、したらもう、陸上げすると同時に、順風にかわってね、北風になって、すぐ順風にかわったので、船は出たんだけども、いかりを取って上げるひまもなく、いかりを切って、なたで切ったんだ。ロープをね。切ってからね、そのまま行ったと、そういう話なんですけども。当時の船長の名まえが、幸地(こうち)という方なんです。その船の船長ね、幸地。それで、その唐船が停泊していたところのいかりをかけた石ですね、いわゆる海の底の石なのね、その岩も幸地岩(こうちなん)といっている。幸地岩、岩(いわ)。それを何でつけたかというと、その船長がたまたま幸地船長ですよ、だから、そこにかけたから、この岩のことを幸地岩、“なん”ということは、岩のことですからね、それにつけたらしい。それが、今、現在もあるわけ。今でもあるんですよ。幸地船長はどこの人かわからないよ。で、今の、そうですね、百年あまる年寄りの方が、そのいかりがあったのを見たというんですよ。今、現在はないんですけども、やはり、このいかりはあったということなんですね、そういうこと聞いていますよ。で、伊是名島に陸上げした、この二基の石棺ね、それが、今、玉陵のむかって左の方が、尚円王のお父さん、姉、そういう方の骨ガメになっておるわけ。で、首里の玉御殿造ってから後に、ま、三年ぐらい後だと聞いているんですけども、この伊是名の玉陵が造られたということになっていますね、詳しいことは、村史だとか、いろいろのっていますので……、そういうことです。

再生時間:4:37

民話詳細DATA

レコード番号 47O382633
CD番号 47O38C136
決定題名 玉御殿の石棺(共通語)
話者がつけた題名
話者名 伊礼正則
話者名かな いれいまさのり
生年月日 19270511
性別
出身地 沖縄県島尻郡伊是名村字仲田
記録日 19800906
記録者の所属組織 沖縄口承文芸学術調査団
元テープ番号 島尻郡伊是名村 T04 B08
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 20
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料 いぜな島の民話 P191
キーワード 玉御殿,お墓,破風型,石棺,一門,甕,支那,唐旅,唐船,伊平屋,首里,伊是名,城,スダの浜,時化,南風,山原船,向かい風,順風,北風,幸地,船長,幸地岩,いかり
梗概(こうがい) ええっと、今、玉御殿(たまうどぅん)の中にはですね、お墓があるんですけども、これは、あの両方、 破風型(はーふーがた)で、真中からこう仕切られてですね、むかって左の方に、石棺(せっかん)二基入っているわけですよ。右の方は、あれから後の一門の方の甕が四十いくらか入っているんですよ。で、この石棺の話なんですけども、なにか、支那から来たという話を聞いています。それで、ま、その当時は春に、一年間で唐旅といいますか、春に行って、秋に帰ると、十二月頃に帰ることなんですよ。それで、唐から来た唐船がですね、伊平屋を通って、首里の方に行くんだそうですね。で、伊平屋を通ったときに、たまたま伊是名の方に寄港して、一泊をしてから出るわけなんですね。で、そのときに伊是名の今の城(ぐすく)の西の方で、 スダの浜という浜があるんです。スダの浜。その沖にですね、停泊して、で、首里の方に行こうとしたら、天気が時化(しけ)って、 南風(みなみかぜ)で、とってももう行けないんですね。当時はもう、帆だけで通いましたからね。山原船(やんばるせん)でね、で、向かい風になると首里の方に行けないわけ。で、もう何度か順風になったということで、出ようとしたら、また、南風になって引っ返して、それがもう、何回となく引っ返してしまったら、もう、首里の方に連絡が行ってですね、「もう、どうしても行けないんだが、どうしようか。」と言ったら、首里の方からの返事で、「これはどうせね、伊是名におりる石棺だから、そこにおろしなさい。」と言うことで、そこに陸上げしたわけね、したらもう、陸上げすると同時に、順風にかわってね、北風になって、すぐ順風にかわったので、船は出たんだけども、いかりを取って上げるひまもなく、いかりを切って、なたで切ったんだ。ロープをね。切ってからね、そのまま行ったと、そういう話なんですけども。当時の船長の名まえが、幸地(こうち)という方なんです。その船の船長ね、幸地。それで、その唐船が停泊していたところのいかりをかけた石ですね、いわゆる海の底の石なのね、その岩も幸地岩(こうちなん)といっている。幸地岩、岩(いわ)。それを何でつけたかというと、その船長がたまたま幸地船長ですよ、だから、そこにかけたから、この岩のことを幸地岩、“なん”ということは、岩のことですからね、それにつけたらしい。それが、今、現在もあるわけ。今でもあるんですよ。幸地船長はどこの人かわからないよ。で、今の、そうですね、百年あまる年寄りの方が、そのいかりがあったのを見たというんですよ。今、現在はないんですけども、やはり、このいかりはあったということなんですね、そういうこと聞いていますよ。で、伊是名島に陸上げした、この二基の石棺ね、それが、今、玉陵のむかって左の方が、尚円王のお父さん、姉、そういう方の骨ガメになっておるわけ。で、首里の玉御殿造ってから後に、ま、三年ぐらい後だと聞いているんですけども、この伊是名の玉陵が造られたということになっていますね、詳しいことは、村史だとか、いろいろのっていますので……、そういうことです。
全体の記録時間数 5:23
物語の時間数 4:37
言語識別 共通語
音源の質
テープ番号
予備項目1

トップに戻る

TOP