後生三味線(共通語)

概要

歌競争をした。粟国の墓ができたのは1723年~1736年から後であると思う。その墓を作る時、粟国は溶岩でできているので墓は掘り抜いて作る。その時にその掘り勝負、彫刻勝負から歌勝負までやった。二つの墓が並んでいた。この墓の名前はそれを掘った責任者の名前がついて、トナキ墓とグシチャン墓という。墓を着工する時は良い日を選んでするので二つの墓は競争して作られた。そして先にできたのはトナキ墓でグシチャン墓は天井にツルの彫刻がしてあった。それでその墓堀り競争は勝負がつかなかった。それから何年たったか知らないが、その墓の死んだ人たちが歌勝負をした。これは知念チクウシがイカを釣ってから帰りがけ夜は起き通しでイカを釣っていたから夢うつつで聞いていると、この歌勝負はトナキ墓が負けていた。そして知念チクウシを連れてこないと負けると聞いたので、これはどうせ向こうに召されるんだなと思って、覚悟を決めて身を清めて死に装束をして死んだ。その人が死んだ後その人が愛用していた三味線を墓の側に立てておいた。誰かがお墓から持ち帰ったのだが、この三味線は一日でなくなっていた。トナキ墓といったら山内ヒャークーヤー、新里ヤー、知念墓である。クンチャン墓といったら上の部落のウムヤーである。

再生時間:5:36

民話詳細DATA

レコード番号 47O230114
CD番号 47O23C007 
決定題名 後生三味線(共通語)
話者がつけた題名
話者名 安里武烝
話者名かな あさとたけとし
生年月日 19181111
性別
出身地 沖縄県粟国村浜
記録日 19760820
記録者の所属組織 沖縄国際大学口承研
元テープ番号 粟国T05A06
元テープ管理者 沖縄伝承話資料センター
分類 20
発句(ほっく)
伝承事情
文字化資料
キーワード 具志親方,知念亀文子,歌勝負
梗概(こうがい) 歌競争をした。粟国の墓ができたのは1723年~1736年から後であると思う。その墓を作る時、粟国は溶岩でできているので墓は掘り抜いて作る。その時にその掘り勝負、彫刻勝負から歌勝負までやった。二つの墓が並んでいた。この墓の名前はそれを掘った責任者の名前がついて、トナキ墓とグシチャン墓という。墓を着工する時は良い日を選んでするので二つの墓は競争して作られた。そして先にできたのはトナキ墓でグシチャン墓は天井にツルの彫刻がしてあった。それでその墓堀り競争は勝負がつかなかった。それから何年たったか知らないが、その墓の死んだ人たちが歌勝負をした。これは知念チクウシがイカを釣ってから帰りがけ夜は起き通しでイカを釣っていたから夢うつつで聞いていると、この歌勝負はトナキ墓が負けていた。そして知念チクウシを連れてこないと負けると聞いたので、これはどうせ向こうに召されるんだなと思って、覚悟を決めて身を清めて死に装束をして死んだ。その人が死んだ後その人が愛用していた三味線を墓の側に立てておいた。誰かがお墓から持ち帰ったのだが、この三味線は一日でなくなっていた。トナキ墓といったら山内ヒャークーヤー、新里ヤー、知念墓である。クンチャン墓といったら上の部落のウムヤーである。
全体の記録時間数 6:01
物語の時間数 5:36
言語識別 共通語
音源の質 △ ノイズが入っている
テープ番号
予備項目1

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